明治民法における「家」制度

 すでに述べた様に、明治民法はローマ法の影響を受けていると言われているので、少し調べて見た。

 明治民法の特徴は、親族編にしても相続編にしても、「家」制度という概念で貫かれているが、そのうち親族編は「親族」の規定から始まり、総則、戸主及び家族、婚姻、親子、親権、後見、親族会、扶養の義務というように章が続く。

 なお、明治民法の親族編のうち、憲法24条に違反していると明確に認められた条文のみが1947年(昭和22年)に廃止になったものの、そうでない条文は、そのまま残った。従って、民法は1896年(明治29年)4月27日の制定、1898年(明治31年)7月16日の施行から、2025年の現在まで129年間生きているのである。

 明治民法も現行民法も、親族編のトップは第725条である。
 現行民法では「第725条 左に掲げたる者はこれを親族とする。①6親等内の血族、②配偶者、③3親等内の姻族 」と規定されている。
 ところで、この条文の「親族」の規定に関して、明治民法の創案者のひとりである梅謙次郎教授(1860年~1910年)の説明(民法要義)によれば、「固より一定の根拠などはないが、外国ではローマ法において4親等までを親族とする例がある、また 、支那にては高祖以下4代を限りとしてこれを認めているようだ。但し、これを民法の計算方法によれば8親等に該当するので、4親等と8親等の平均は、すなわち6親等である。故に民法では6親等内の血族に限った。」ということである。なんとローマ法をしっかり意識しているではないか。
 ちなみに、明治民法の当時、戸籍には一体何親等までは記載されていたのか、である。相続の事件で相続人を確定するために戸籍謄本などを取り寄せると本当に驚くが、旧戸籍法の第19条には記載順序が定められているように、「第1 戸主、第2 戸主の直系尊属、第3 戸主の配偶者、第4 戸主の直系卑属及びその配偶者、第5 戸主の傍系親及びその配偶者、第6 戸主の親族でない者、直系尊属の間にあっては,親等の遠い者を先にし,直系卑属又は傍系親の間にあっては,親等の近い者を先にする」とある。
 旧戸籍法の規定は、想像していたよりも広範な親族などを含めて規定しているようだ。
 しかし、このような「親族」の定義や「6親等までの血族」などの規定が、現代社会においてもどの程度必要かなど再検討するべきであろう。

 明治民法の第732条は、「戸主の親族にしてその家にある者及びその配偶者は、これを家族とする。」となっている。
 ここで定義されている「家族」は、戸主を中心に構成され、「戸主の親族」に限定される。また、梅教授によれば「その家にある者」の「家」とは、「有形の家」ではなく「法律上の家籍をいえるもので,実際には同一戸籍にある者は、すなわち同一の家にある者」というらしい。家族とは、「同一の家籍」、つまり「戸主と同一戸籍にある者」ということだから、例えば結婚して他家に行った娘は親族であっても「家族」ではない。「家族」とは戸主と同一戸籍にある者に限る。
 このように明治民法では、「家」「戸主」「家籍」「家族」「親族」など多くの概念があったものの、現行民法では、いくつかは消えたが、、「尊属」「卑属」など上下の身分関係を示す概念はしっかり残っている。

 明治民法第746条には「戸主及び家族はその家の氏を称する。」と定めている。
 この点につき、梅教授によれば「今日は、家には必ず氏があるから、家を組織する戸主や家族は当然その家の氏を称すべきこと言をまたない」とし、妻の氏については「従来の行政上の慣習によれば妻は実家の氏を称するべきだと言っても、これは支那の慣習を踏まえたものであって、我が邦の家制の主義には適していない。また実際の慣習にも適合していない。つまり妻がその実家の氏を称すると言うことは、あたかもなお実家に属するという観を成し、夫婦家を同じくするという主義には適していない。」と説明した。
 ここで気がつくのは、かつては、結婚した妻は実家の氏を使うということである。例えば江戸時代には武士は氏を名乗ることができ、また武家の女性は婚姻後も実家の氏を名乗っていたという。明治3年9月の太政官布告によって平民も氏を名乗ることが許され、明治8年2月には氏の使用が義務化された。そして明治9年3月17日の太政官布告では「妻の氏は『所生の氏』つまり実家の氏を用いることとなっていたのである。つまり夫婦別姓だったのであるが、これは明治31年まで続いた。
 従って、明治民法になって始めて「妻は夫の家に所属する」とされたのである。

  明治民法第747条では「戸主はその家族に対して扶養の義務を負う。」と定めている。
 梅教授によれば「本条は戸主の義務、家族の権利を定めたるものである。我が邦の法律においては家督相続は1人に限りその者は前戸主の全財産を相続するが故に、家族は資産なきを常とする故に、全戸主の全財産を相続した戸主においては、家族を扶養する義務がある」ということである。

  ローマ法でも明治民法でも「家」という概念は非常に大切だったのである。