4.ローマ法における婚姻と相続
ローマ法では、相続は、「家父が死亡したならば、その家長権に服し、家長の死亡によって自権者となる者が相続する。従って、手権を伴う婚姻で結婚した妻、息子、娘がそうであるする者が相続する。」とされている(ローマ法の歴史p29)。
すなわち、婚姻制度により嫡出子を保護することにより、家父権の地位と財産を承継させるということが重要だったので、非嫡出子は、親子関係があったとしても相続権を有しなかったのである。
同書によれば、「家父長制度の下では、父が生きており、家父長免除がなされていない限り、子には権利能力も財産能力もなかった。父は子自身が管理するものとして一定の財産、つまり特有財産を子に割り当てることが可能であったが、父はいつでも自由に恣意的に子から特有財産を取り上げることもできた」(同書p105)から、父が死亡して初めて財産及び財産能力を相続することができたのだろう。
なお、「遺言により相続人を指定することは一二表法の時代から行われており、紀元前200年頃には遺言相続が普通であり、無遺言相続は例外的だった」と言われている。
そこで婚姻制度と相続制度の関係であるが、次のように言われている。
「家族が国家社会の基礎単位となっている古代国家では、家族法・相続法の主要な関心は『家族の承継』であり、男系を中心とした家と、家の財産がどのように、また誰に継がれるのかということであった。誰が相続するかを明らかにするために婚姻を巡る諸問題(とりわけ妻の姦通や奴隷との間の子の地位など)について規定しなければならず、相続すべき者に順位を付けなければならなくなる」(佐藤篤士著:古代ローマ法の研究)とか、あるいは、「ローマ法における婚姻の目的は継承者となる子どもを作り出すことを目的とするものであって、男性と女性との結合によるものとされた。子をもつことを目的としない関係は婚姻とは見做されなかった。また同性のカップルの関係は婚姻とされることはなかたった。」ともされている(椎名規子:同p62)。
つまり婚姻制度は相続のための手法に過ぎないのであったと思われる。
ところで、このような婚姻法や相続法は、ローマ市民に対して適用されたが、市民権はどのようにして決まったのか。古代ローマにおいては、ギリシャと同じく、女性と奴隷には市民権が与えられなかった。ギリシャでは、成人男性のみが市民権を有していたが、それは男性であれば兵役の義務があったからであり、女性には兵役の義務がなかったからである。但し、ローマにおいてはギリシャと異なり、属州の被征服民族であったり、奴隷だったとしても、例えば25年間の兵役に服すればローマ市民権を付与されたのである。そして市民権をもつ男性は、土地などの財産を有し、納税義務を負った。
以上から理解できることは、ローマ法においては、市民である家父長の財産を、次の家長予定者である嫡出の男子に相続させるために、婚姻によって妻に子を産ませるという方法が必要だったのである。
このようにローマ法による家父長制度及び婚姻制度においては、女性はもっぱら家父長の男子を出産するために存在することを許されたのである。
まさに「女は子どもを生む機械」だったといえようか。