大正13年生まれの母はとても歌が好きで、90歳を超えた今でも良く歌を歌う。若い頃に比べると、声が細くなったが、それでも澄み切った声で、嬉しそうに歌う。
先日、母が何度も繰り返し「我は海の子」を歌っていた。戦後生まれの私は、せいぜい3番までの歌詞しか知らなかったのに、母は驚くべきことに7番までしっかり歌った。その記憶力に非常に驚いたが、多分、母が小学校の頃に、覚えた歌だったのだろう。
1.我(われ)は海の子 白浪(しらなみ)の
騒ぐ磯辺(いそべ)の 松原に
煙たなびく 苫屋(とまや)こそ
我が懐かしき 住家(すみか)なれ
2.生れて潮(しお)に 浴み(ゆあみ)して
浪を子守の 歌と聞き
千里(せんり)寄せくる 海の気(き)を
吸いて童(わらべ)と なりにけり
3.高く鼻つく 磯の香(か)に
不断(ふだん)の花の 香りあり
渚の松に 吹く風を
いみじき楽(がく)と 我は聞く
4.丈余(じょうよ)の櫓櫂(ろかい) 操(あやつ)りて
行手(ゆくて)定めぬ 浪(なみ)まくら
百尋千尋(ももひろちひろ) 海の底
遊びなれたる 庭広し
5.幾年(いくとせ)此處(ここ)に 鍛へ(きたえ)たる
鉄より堅(かた)き 腕(かいな)あり
吹く塩風に 黒みたる
肌は赤銅(しゃくどう) さながらに
6.浪にただよう 氷山も
来(きた)らば来(きた)れ 恐れんや
海まき上(あ)ぐる
たつまきも 起(おこ)らば起(おこ)れ 驚(おどろ)かじ
7.いで大船(おおぶね)を 乗り出して
我は拾わん 海の富(とみ)
いで軍艦(ぐんかん)に 乗組みて
我は護(まも)らん 海の国
この歌は明治43年(1910年)に文部省が尋常小学読本唱歌と指定したことから、作詞者や作曲者は不明だとされている。
7番まであるが、この歌の4番以降を私が知らなかったというのは当然のことで、戦後、この4番以降は軍歌だということで,音楽の教科書については、GHQから削除を命じられたということである。
ただ、仮に軍歌の意味があるとすれば、私としては7番の後半だけにして、別の歌詞にすればよかったのに、と思う。
「苫屋(とまや)」と聞くと思い出すのは、百人一首の「秋の田の仮庵の庵の苫をあらみ、我が衣手は、露にぬれつつ」である。
苫(とま)というのはスゲ(菅)やカヤ(茅)などの草で編んだ菰(こも)を意味し、このような草で屋根を葺いた家を「苫屋」と言い、小屋や舟を覆って雨露をしのぐための粗末なものを指すというそうだ。
「不断の花」とは「不断草」と言われている野菜で、「スイスチャード」ともいい、収穫期がほぼ周年で絶え間がないことから「不断」という名がついた。 ホウレンソウにも似ているが、葉柄や葉脈が赤や黄色でカラフルだそうだ。ところで「不断の花」とあるので、一体どのような花かと調べても「6月頃、咲かせる。花弁はなく5枚の萼が開き雄しべは5個」というような説明も見つけたが、さて「不断の花の香り」がどのようなものか想像も付かない。きっと海の潮の香りと調和していたに違いない。
「丈余(じょうよ)」といえば、「1丈」は「10尺」で、1尺は約30センチメートルだから、3メートル以上の長さを指すのだろう。「白髪三千丈」というとても長いものを表す言葉もある。
問題は「櫓櫂」である。「櫂」とはボートで漕ぐときに使う「オール」を指すという。ところが「櫓」という言葉の定義は難しい。日本船主協会の「海運雑学ゼミナール」によれば「櫓は、魚のひれの動きに似ている。船の後端に支点をおいて、飛行機の翼のような断面の櫓の先端を半円で描くように左右に動かし、行きと戻りで逆方向に切り替わる抑え角から生まれる揚力で船を前進させる。これはスクリュープロペラと同じ原理になる」「櫓の場合はスピードで櫂にやや劣るものの何時間でも1人で漕ぎ続けられる極めて効率的な推進方法だ」と説明してあった。
ちなみに「櫓」という言葉は「船頭さん」という童謡にも歌われている。
「村の渡しの船頭さんは,今年60のお爺さん。
年をとってもお船を漕ぐときは、元気いっぱい櫓がしなう。
それ、ぎっちら ぎっちら ぎっちらこ」
私が思い浮かべる、この歌の情景は、船頭さんは、船を漕ぐときに船尾に立ったままで櫓を漕いでいる。多分、今でも観光地では船頭さんが櫓を漕ぐ姿を見ることができるのではないか。
「櫂」では座って船を漕ぐが、「櫓」は座っても立っても船を漕ぐことができるのではないかと思う。