実は私は結構漫画が好きだが、イタリア語に接するようになってから、イタリアの文化や歴史を題材にした漫画に注目することが多くなった。とは言ってもたまに立ち寄る書店で探して、膨大な種類と数の漫画の中から偶然目に飛び込んだものに過ぎないが、それでもいくつか見つけたので、紹介しよう。

1,テルマエロマエ ①~⑥(ヤマザキマリ エンターブレイン社)

 この漫画は映画化されて更にヒットしたものである。古代ローマのハドリアヌス帝が治めていた頃(在位117年~138年)の物語で、主人公の建築技師ルシウス・クイントス・モデストゥスがさまざまな浴場を考案し建築する。古代ローマの建物はローマやナポリなどイタリアのあちこちで見ることができるが、まるで、その時代に生きているかのように、建物、衣服、食べ物など生活の状況を具体的に感じることができる。
 なお当時は現代イタリア語ではなくラテン語が使用されていたので、この漫画の中にはラテン語で書かれている箇所がいくつかある。またこの漫画のイタリア語版は日本でも入手可能だが、読んでみると、イタリア語版では「ルシウス」ではなく現代呼称の「ルーチョ」である。
 ちなみに私は、著者が「平たい顔族」(FACCIA PIATTA)という言葉を発明したことに敬意を表している。数年前あるイタリア人が優しく私の顔を見つめていたが、突然右手をパッと広げて私の顔に当て、「ねえ、れいこ、鼻はどこにあるの」と微笑んで聞いた。そのとき私はなんと答えたか記憶にないが、今なら言える。「私は平たい顔族よ、それが何か?」

2,プリニウス ①②(ヤマザキマリ とり・みき 新潮社)

この漫画はネロ帝の頃(在位54年~68年)の古代ローマを扱ったもの。実在の人物である博物学者のガイウス・プリニウス・セクンドゥス(23年~79年)が主人公である。実は恥ずかしながら、私はこの人物のことを知らなかったので、とてもためになる。というよりラテン語表記はもちろん、プリニウスについての著者の博識について行けず、注釈だけでは理解できない場面も多く、私の探求心をそそっている。そういう困難もまた楽しい。そのうち私も「シキリア」の「マグナ・グラエキア」に行って「サウルス シス」と挨拶し「パニス クアドーラトゥス」を食べながら「チェトラ」を聞き、「タブリウム」で「アイソーポス」とか「ゲルマニア戦記」を読むという生活をするかもしれない。
実は最近「イタリアチーズの故郷を訪ねて~歴史あるチーズを守る」(本間るみ子)という本を偶然購入したら、なんと「学者プリニウスもこのチーズの前身を言われるブロッテロの品質について書き残しているくらいである」とか「大プリニウスは著書『博物誌』に当時のシチリアのチーズの美味しさを書き残している」と書かれていた。
もしかしてイタリアに精通している人にとってプリニウスは知識として当然のことなのかもしれない。おそるべし「プリニウス」。

3,アド・アストラ~スキピオとハンニバル~ ①~⑥ (カガノミハチ 集英社)

 昔世界史で勉強した「第2ポエニ戦争」(紀元前218年~201年)を題材とした漫画。カルタゴの名将ハンニバル・バルカ(紀元前247年~183年)が当時共和制を敷いていたローマを相手に戦略戦術を駆使し、アルプス越えをし、トレビア川の闘いなど繰り広げる物語である。これにブブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨル(紀元前236年~183年)が対抗する物語で、横山光輝の「三国志」に似たおもしろさがある。ハンニバルはローマにとっては敵将なので、イタリアでは好意的に評価されてはいないとの意見もあるが、彼はアルプスからシチリアまでイタリア半島を縦断しているので、現在のイタリア人の血にはフェニキア人の血も入っていると思う。
 題名の「アド・アストラ」とは「ペル アスペラ アド アストラ」(PER ASPERA AD ASTRA」というラテン語から取ったもので、意味は「困難を通じて天へ」というカッコ良いもの。塩野七生の本(ローマ人の物語・ハンニバル戦記)を読みたくなる。

4,チェーザレ~破壊の創造者 ①~⑪(惣領冬美 講談社)

フィレンツェのメディチ家が一番政治的勢力を持ち、ルネッサンスの花が開いた時代のことである。イタリア半島がいまだ国家として統一されず、ミラノ公国、フィレンツェ共和国、ナポリ王国など多数の国に分かれ、それぞれ覇権を争っている政治状況は、日本の戦国時代を彷彿させるが、さらに教皇との権力争い、国境を接するフランスやスペインなどの外国の連携を巡って政治的思惑が絡む。
このような状況の中、貴族であるチェーザレ・ボルジア(1475年~1507年)が主人公になって、権力獲得のため様々な策略を繰り出している。チェーザレ・ボルジアは、あの有名なニッコロ・マキャベリの書いた君主論では、「見習うべき君主」として論述され、冷酷無比な政治家としてイタリア人にはあまり人気がないと聞く。しかし、この漫画は時代考証も良くなされており、イタリアの歴史や芸術を理解するためには十分におもしろくまた参考になる。著者はまた違った側面のチェーザレを見せてくれるに違いない。
なお、チェーザレの属するボルジア家はスペイン・バレンシアの出身なので、漫画にはスペイン語も出てくる。

5,カンタレラ ①~⑫(氷栗 優 秋田書店)

 この漫画もチェーザレ・ボルジアを主人公としているが、「父ロドリゴの策略で法王の地位と引き換えに、生まれたと同時に魔に売られた」という非常にファンタジックな物語である。標題の「カンタレラ」とはボルジア家が暗殺に用いた毒薬を指すとされるが、他方、主人公のチェーザレ自身の体も魔の力に侵されて行く。
 ところでイタリアのルネッサンス時代と言えば、有名有能な人物が多士済々であり、漫画の主人公には事欠かないと思われるが、なぜチェーザレがこのように漫画の主人公になるか、私には大変不思議だ。一説によればチェーザレは非常に美男子だったというから、漫画の素材にふさわしかったのだろうか。ちなみに「イタリアはイケメンが世界一多い国」らしい。真偽のほどは不明だ。

6,アルテ ①② (大久保 圭 徳間書店)

 16世紀初頭、ルネサンスの発祥の地フィレンツェで芸術が花開いた頃、女性の主人公アルテ・スパレッティが貴族の階級に属しながらも男性に依存しないで働くことの大切さにめざめ、大好きな絵画を人生の中心とするために世間に飛び出して生き抜いてゆく物語である。
 当時のフレンツェの街が生き生きと描かれているばかりでなく、建物、道、衣服、料理など時代考証されていると思う。また当時の女性のおかれた立場や職業に対する考え方なども「女は家にいて主人の言うことを良く聞き、子供を産み育てる・・それが仕事。自由のない籠の鳥であった」などと説明されている。主人公が芸術家として大成するには本当に難しい時代だと思うが、応援したい。
 ちなみに、弁護士という資格も旧弁護士法が施行された1893年当時は、男子に限定されていた。つまり女性は弁護士資格から排除されていたのである。女性弁護士を認める弁護士法が施行されたのは、1936年だったという。

7,絵画修復家キアラ ①②(たまい まきこ ぶんか社)

 こちらの漫画は絵を描く方ではなく、絵画を修復する専門家キアラ・ジェンティレスキが主人公。時代は16世紀後半、キアラは伯爵家の8女、12歳、天才という設定。
 キアラは修復家であるから、フレスコ画の説明はもちろん、「フレスコ皮膜切離(ディスタッコ・アストラッポdistacco a strappo)」という修復法まで書いてくれているので、とても勉強になる。とは言っても私にはまったく分からないが・・。
 修復といえば近年、ミケランジェロのシスティナ礼拝堂の天井画や「最後の審判」、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」などが修復され当時の鮮やかな色を取り戻したことで話題になっている。また、2014年11月には日本の和紙(石州半紙、本美濃紙、細川紙)が日本の手漉き和紙技術として世界無形文化遺産に登録され、この和紙が絵画の修復に有効だと言われている。
 絵画の修復は、描かれた国や時代、手法などの違いにより、おそらく非常に膨大な知識や高度な技術を要すると思うが、このような知識をこの漫画は与えてくれる。
 なお、この漫画でも「最近プルニウスの博物誌を手に入れて、画材などはそこから調べています」と言われ、「あんな稀少本を手に入れるなんて・・」とキアラが驚く場面がある。やはりプリニウスおそるべし! 著者おそるべし!