1. Rara temporum felicitate ubi sentire quae velis et quae sentias dicere licet.

好むままに感じ、感じるままにものを言うことが許された、実にまれに見る幸福な時代

「この言葉はタキトゥスの『同時代史』の第1巻にあるとされる。この文章はラテン語なので、イタリア語では、Rara è la felicità dei tempi in cui è lecito pensare ciò che vuoi, e dire ciò che pensi.というらしい。
 タキトゥス(55年頃~120年頃)は、古代ローマ帝国の政治家、歴史家として有名で、実際、元老院議員や補充執政官の官職にも就いた。歴史書では『ゲルマーニア』、『同時代史』、『年代記』などで有名だよ。同時代史は、ネロの死からガルバ、オト、ヴェスパシアヌスの3人の皇帝たちの皇帝の惨殺や内乱等の1年間を書いたもので、当時の壮絶な状況が克明に描写されていると言われている。」
「その時代に、この言葉は違和感があるね。」
「タキトゥスが、このように評価している時代とは、ネルヴァ帝とトラヤヌス帝の時代のことだったそうだ。」
「でもネルヴァ帝は第12代ローマ皇帝で、96年に皇帝に即位したが、98年に死亡しているから短期の皇帝だね。でもトラヤヌス帝は第13代皇帝でネルヴァ帝の後を受けて98年に皇帝に即位し117年に死亡した。この皇帝は、対外的には古代ローマ帝国の領土を拡張し、国内的には公共建造物などを建設するなどしたことで、ネルヴァ帝と共に『五賢帝』として積極的に評価されている。」
「タキトゥスは、この五賢帝時代には、表現の自由が認められた国民にとって幸福な時代だと評価したのだね。」
「好むままに感じ、感じたままに言うことができる時代っていうのは、現代でも本当に大切だね。」

  1. Ma cosa hai messo nel caffè,che ho bevuto su da te, c'è qualche cosa di diverso adesso in me

ねえ、僕の飲んだコーヒーになにか入れた? なにかいつもと違うんだよ、今

「え、もしかしてコーヒー毒殺事件でも起きたの?」
「違うよ、これは、コーヒーにまつわる優しいラブソングの一節だよ。
後に続く歌詞か次のようになっている。
 Se c'è un veleno morirò(もし、毒だったら、僕は死んじゃうけど
 Ma sarà dolce accanto a te(君の横で優しい気持ちになれるんだろう
 Perchè l'amore che non c'era(だって、前には愛がなかったけど
 Adesso c'è(今は、とても好きなんだもん
この歌は1969年のサンレモ音楽祭で賞を取った曲だけど、いろんな人にカバーされて、今でもとても人気な曲なんだよ。」
「イントロから軽快なリズムで始まり、恋人にささやくような、明るく、しかもしっとりした声で歌っているね。特にサビのところはメロディーも覚えやすいから、つい、口ずさんでしまうほどだね。」
「サンレモ音楽祭で賞を取った時には、リカルド・デル・トゥルコという男性歌手が歌っていたので、主語を『僕』にしたけど、ねえ、私にもコーヒーを煎れるてくれる?」
「僕をもっと好きになってくれるかい?」
「そうね、一番美味しいコーヒーを煎れてくれたらね。」

  1. A mali estremi,estremi rimedi.

重篤な病気には、過激な治療

「rimedioとは、治療法とか救済措置という意味だから、ひどい病気には思い切った処置が必要という意味だね。
『毒薬変じて薬となる』とか『毒をもって毒を制する』とも説明されているが、毒薬とまでいわなくても、『劇薬』とか、効能は非常にいいけど、副作用の強い危険な薬という感じかな。予想しなかったような非常事態には、通常の方法では対処できないということだね。」
「なるほど、医療の分野に限らず、なにか未曾有の事態や事件が発生した場合には、今までのやり方では通用しないこともあるということだね。難しいね。」

  1. Una prova della correttezza del nostro agire educativo è la felicità del bambino.

私達の教育方法が正しいかどうかの一つの証拠は、子ども達の幸福です

「この言葉は、マリア・モンテッソーリ Maria Montessoriの有名な言葉だ。
彼女は1870年8月、イタリアのマルケ州で生まれて、女性で初めてローマ・ラ・サピエンツァ大学医学部に入学し、医師になって精神科病院にで働いた女性なんだ。その後、ローマ大学に再入学し、哲学などの他、生理学、精神医学を学び、さらに幼児教育学の方法を確立したと言われている。」
「ちょっと待って。1870年といえば、日本では、明治3年でまだちょんまげを付けたサムライがいた頃だ。ちなみに東京帝国大学は1886年(明治19年)に創設された。調べて見ると、ローマ・ラ・サピエンツァ大学は1303年にできたとある。」
「イタリアの大学の歴史は古いが、それでも医学部に入学した最初の女性がモンテッソーリだったということは凄いことだね。当時は今よりもさらに女性差別が激しかったと想像するに難くない。彼女は本当に優秀で、しかも勇気のある人だったんだね」
「彼女は幼児教育でメソッドを確立したことで世界的に有名になったが、それまでの幼児教育と比較して一番重要なことは、子どもを教育の対象として扱うのではなく、一人の人間としてその自主性を重視したということだ。
だから、いろいろな名言が残っている。
"Il più grande segno di successo per un insegnante… è poter dire: i bambini stanno lavorando come se io non esistessi."
(教師にとって最も大きな成功は、「子どもが、まるで自分がいないかのように活動しているんです」と、断言できることです。)
"Aiutiamoli a fare da soli."
(子ども達が一人で行うことができるように助けることです。)
"Mai aiutare un bambino mentre sta svolgendo un compito nel quale sente di poter avere successo."
(子どもが、上手くいくと考えて、なにかに集中している時には、手助けしてはいけません。)
他にも多くの名言があるよ。ネットでも調べるができるよ。」
「もちろん、調べたよ。彼女の教育法は世界中に影響を与えたんだね。1929年にはオランダのアムステルダムに国際モンテッソーリ協会を開設して、日本にもこの協会の指導による教員養成所があるという。それに、彼女は息子の兵役を拒否したため、ムッソリーニ首相と対立し、国外に逃れたとも言われている。女性としても、教育者としても、平和主義者としても素晴らしかったんだね。」
「イタリアの通貨がリラだったときには、1000リラ紙幣には彼女の肖像画と学習風景が書かれていたという。」
「こんなに世界的に影響を与えた女性がいたということを、今のイタリア人はみんな知っているのかなぁ?」

  1. La notte porta consiglio

夜は、助言をもたらす

「文字通り、一晩ゆっくり休んで考えれば、良い智恵がわくという意味だね。つまり、冷静に判断して行動することは必要だということだ。日本にも、『急いては事を仕損ず』とか、『急がば回れ』いう似たようなことわざもあるね。」
「ところが、日本には、これとは反対のことわざもあるんだよ。『思い立ったが吉日』、『先んずれば人を制す』とか、『善は急げ』とかあるね。だから、本当に急がないといけないときにはどうすればいいか考えてしまうね。」
「多分、イタリアにも、日本と同じようなことわざがあるかもしれないね。ところで、ローマ帝国の初代皇帝のアウグストゥスは『Festina lente』(ゆっくり急げ)と言ったらしい。急ぐときこそ、落ち着いて考えろということだね。」
「そういえば、明日数学の試験があるけど、落ち着いて考えよう。」