- Bis dat qui dat celeriter
素早く与えれば、2度恩恵を与えることになる
「これはプブリリウス・シュルスが金言集で書いた言葉で、ラテン語だ。
bis das,si cito das とも言われている。困窮者に与えるなら早めに与えた方がいい、2度施したのと同じ価値がある、という意味だ。
bisは、『2度』、das あるいはdatはdare『与える』という動詞。
現代イタリア語では、dona due volte chi dona celermente というらしい。」
「そうだね。日本でも大きな自然災害があったときに、食料とか、住む場所とか、すぐに生活に困るから、被災者には迅速に救済措置を取ることが必要だよね。」
「ところで、Chi mena per primo mena due volte(最初に殴った者は2度殴る)という良く似たことわざがあるけど、menareとは、『連れて行く』、『過ごす』という意味の他に、『暴力をふるう』、『殴る』などの意味があるね、これは、どういう意味?」
「2人で喧嘩しているときに、最初に殴った方が、相手に対して丁度2回殴るのと同じくらいのダメージを与えるということで、『先手必勝』という風に理解されている。」
「でも最初に手を出すというのは、卑怯なやり方だと思われているのではないのかな。」
「そうだね、2つのことわざは、最初の1回の行為が2回分を意味するということだけど、なんとなく違うように感じるね」
- Dicendo che volentieri nella sua patria tornava per essere poi colà di continuo biasimato, il quale biasimo gli dava cagione di studio,e conseguentemente di gloria maggiore.
喜んで故郷に帰るのは、故国では絶えず批判されるが、このような批判は今後の研究の動機となり、結果的により大きな栄光をもたらすだろう、と言った。
「これは、ジョルジョ・ヴァザーリが、ドナテッロについて語った一節だよ。少し簡略化していると思うが。
ジョルジョ・ヴァザーリは、1511年にトスカーナのフイレンツェ近郊で生まれ、1574年まで活躍した人で、ミケランジェロの弟子で、ウフィツィー美術館を設計したことで有名だ。彼の生きた時代は、まさにメディチ家がフィレンツェを支配していた時代で、イタリアのルネッサンス黄金期に当たる。中でも『画家、彫刻家、建築家列伝』を書いたことで後世までも有名になった。」
「ドナテッロは、フィレンツェで1386年頃生まれ、本名は『ドナート』という。1彫刻家などとして有名な作品を残し、1466年に亡くなった。
フィレンツェのダヴィデ像はあまりにも有名だけど、彼は、ローマやパドヴァなどあちこちに出かけて素晴らしい作品を残し名を馳せたので、そこの土地の人に引き留められたそうだ。しかし、ドナートは、この言葉を言って、結局フィレンツェに帰ったという。」
「普通の人間は褒められたいから、褒めて貰えるような環境を好むけど、ドナテッロは、まったく反対で、むしろ自分を批判してくれる方が自分のためにも良いと考えたんだね。とても自分に誠実で厳しい人だったと思う。そして、ヴァザーリは、このようなドナテッロの人柄を良く知る立場にあったんだね。」
- Tempo di permanenza continuato nello spazio di 199 giorni,16 ore e 42 minuti
宇宙連続滞在時間199日16時間42分
「この記録は、イタリアの宇宙飛行士、サマンサ・クリストフォレッテイのもつ記録だ。
彼女は1977年に生まれて、イタリア空軍のパイロットやエンジニアであるが、2014年11月23日に他の宇宙飛行士2人と共に、カザフスタンのバイコヌール宇宙基地からソユーズで打ち上げられ、2015年6月11日に帰還した。そのため宇宙連続滞在は199日となったんだよ。これは女性では当時最長の時間だった。」
「その記録はどういう意味があるの?」
「これまでに宇宙に行った人は何人いるか、という記録がある。2023年3月12日現在の記録では、合計595人で、うち男性525人、女性は70人だそうだ。女性の宇宙飛行士は男性に比べて圧倒的に少なく、特に国別でみると、アメリカの女性は53人と大部分を占め、ロシア(旧ソ連含む)は6人、中国は3人、日本とカナダは2人という具合になっている。イタリアはサマンサ1人だ。」
「なぜ、女性は少ないのかということについて調べたら、基本的には宇宙飛行は歴史的に男性のみだったので、宇宙服から宇宙船の仕様などすべて男性基準だったことがある。また男女では生理学的な性差があり、女性の月経、トイレの仕様、宇宙線(放射線)による生殖機能への影響、特に女性の場合男性と異なり生まれた時からすべての卵子を胎内に持っていることからする卵子の保存など様々な問題があったからと言われている。」
「なるほど、そういう生理的な困難を抱えてもなお、サマンサは199日もの長期間宇宙に滞在することができたんだね。身体的にキツかったのではないかと思う。しかもミュンヘン工科大学機械工学の学位を取得し、モスクワのロシア化学技術大学に通い、ナポリ大学で航空科学を修めるなどして、専門知識も非常に豊富なうえ、イタリア空軍で戦闘機パイロットなどで500時間以上の飛行経験もあったらしい。そして2009年には欧州宇宙機関により8000人の候補者から選考され宇宙飛行士になったと言われている。しかも、彼女はイタリア語はもちろん、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語に堪能だったそうだ。本当に優秀だったんだね。」
「サマンサは、『宇宙から眺めるイタリアは特に美しい。私の母国だからというだけではなく、イタリアの海岸・島・山の風景が自然に融け合うさまは、この国のここ(宇宙)から見た姿を特別なものにしている』と言って、宇宙から見たイタリアの美しさを表現した。イタリア人にとっては、凄く嬉しい言葉だろうね。それに宇宙ステーション内では、なんとエスプレッソを煎れる実験もしたというよ。高圧で重力がない場所で液体がどのように変化するかという重要な科学的実験だったらしい。」
「サマンサの偉業のあと、現在では2020年2月にはアメリカ人女性が最長の328日間となっている。女性が宇宙に行くことは当然のようになっているね。」
- Do Re Mi Fa Sol La Si Do
ド レ ミ ファ ソ ラ シ ド
「これは、1オクターブの音階だね。私達は、昔から当然にあったようにドレミで歌っているけど、この音階を考えた人はちゃんといるんだ。もちろん、これは日本の古来の音階ではなく、西洋の音階だけど、なんと古代ギリシャの時代から研究されたんだ。あの有名なピタゴラスは数学者だったが、音を数字で分析するということにも興味をもったんだ。そして1オクターブを7つに分割するという理論を確立したと言われている。」
「でも、そのときからドレミと言っていたのかな。」
「この音階に呼び名を付けたのが、グイード・ダレッツィオというアレッツィオ生まれのイタリア人だ。彼は991年頃に生まれて、ベネデイクト会の修道士、音楽理論家、音楽指導者であったが、ポンポーザ修道院にいたときに、聖歌隊がグレゴリオ聖歌を音で聞いて暗記するという従来の方法では困難があったことに気がつき、なんとかして聖歌を早く覚えられるようにする必要があると感じた。そのため、ヨハネ賛歌の各小節の最初の音が一音ずつ上がっていくのに気がつき、この音に階名を付けて、覚えやすくしたのだよ。
具体的には、
Ut queant laxis Resonare fibris
Mira gestorum Famuli tuorum
Solve Polluti Labii reatum
Sancte Johannes
という各小節の歌詞の最初の音を階名にしたそうだ。
ただ、「Ut」という発音はイタリア語では難しかったため、Dominus(主という意味)に変更して「Do」とし、最後の7音目は「S」と「I」を併せて「Si」としたという。」
「つまり、グレゴリオ聖歌がなければ、ドレミの音階はなかったんだね。最後の小節は
Sancte Iohanes(聖なるヨハネ)となっているのは分かったけど、全体の聖歌の意味は何だったのか、知りたいね。」
「ネットでは、このように翻訳されている。
affinché possano con libere voci cantare (主の下僕達である私達が自由な声で)
i tuoi servi le meraviglie delle tue gesta (あなたの行為の奇跡を歌えるように)
cancella il peccato del loro labbro impuro (私達の汚い唇の罪を消してください)
o san giovanni (おお、聖ヨハネ様)」
「うーん」
- Chi ha arte, ha parte
手に職をもつ者は、困らない。
「Arteという言葉は、芸術とか芸術家ということを言うが、言葉の意味は広くて、職業、技能、技法、手管、人工、人為などを意味する。例えば『中世の三学』といえば、文法、弁証法、修辞学というし、『中世の四科』といえば算術、幾何学、天文学、音楽を指したそうだ。だから、この場合のarteは『職』と意味すると考えることができるね。
他にも、Impara l'arte e mettila da parteがあって、直訳では「技術を覚えなさい、その技術それを持っていなさい」ということになるが、日本では『芸は身を助すく』という良く似たことわざがあるね。人よりも専門技術を持っていると、それで生きていけるという感じだね。」
「なるほど、ところで、この二つのことわざには、parteという単語があるけど、単純に『部分』『一部』という意味だけではないよね、これは日本人には難しい単語だね。」
「一つめの avere parte は、中世の時代、人は専門職が無ければ政治に参加することができなかったんだって。だから、職を持つことは社会に参加するために必要だったという。この parte は、partecipare という動詞を大いに関係があるんだよ。語源を含めて解釈すると、手に職を持つ者は社会や政治に参加することができる、という意味になるそうだ。
二つめの mettere da parte という慣用語は、物を別に取っておく、保留するという意味だから、『技術とか職を学習したら、それとちゃんと保管しておきなさい。そうすれば将来役にたつ』という解釈になるね。イタリアでは親が子どもに勉強をさせるとき、今覚えておくと大人になって役に立つよ、と言って、料理やダンスなどいろいろ教えるんだって。」
「ウーン、やっぱりイタリア語は難しいよ。」