2.ローマ法と日本法

 ローマ法は紀元前からの法とされているので、そこに婚姻制度の意味を探ることができると思う。
 ただ、私にはローマ法の知識はまったくないので「ローマ法の歴史」という書物(ウルリッヒ・マンテ著、2008年10月発行、ミネルヴァ書房)を頼りに考えていきたい。
 同書によると「ローマ法はもともとは1つの国の法秩序であったが、今日に至るまで真の世界法へと発展した唯一の法である。ローマ法は、14世紀以降、中央ヨーロッパで『普通法』と見做され、19世紀には私法の偉大な法典に組み入れられた(1804年のフランス民法典、1811年のオーストリア民法典、1896年のドイツ民法典、1907年のスイス民法典)。これらの法典はその娘にあたるといえる法典を通して、ローマ法のシステムを全世界にもたらした」とある。
 他方、現行の日本の民法は、明治29年(1896年)4月27日に公布され、明治31年(1989年)7月16日に施行されたが、草案作成の際には、フランス民法やドイツ民法などのほか、イタリア民法、オランダ民法、ベルギー民法など広く研究され、また、その編纂にあたってはパンデクテン方式を採用したと言われている。その後、数次に亘って改正されてきて、現在に至る。
 従って、日本の民法は、ローマ法の影響を受けていると言っても良いだろうと思う。

 ところで一口に「ローマ法」と言ってもその範囲は広い。
 古代ローマは、そもそも紀元前8世紀(紀元前753年頃)に建国された。紀元前450年頃に十二表法が起草され、その後、共和制や帝政を経て、法は追加・変更され、洗練されて法制度が充実したそうである。ローマ帝国が東西に分裂した後、東ローマ帝国では、最後の皇帝であるユスティニアヌス帝が、市民法大全を作り、古代ローマ時代からの自然法など法を整理して紀元後529年に公布したという。そして東ローマ帝国滅亡後も、東ヨーロッパにおける法実務の基礎となったという。
 他方、西ヨーロッパでは、1070年頃にイタリアのボローニャで古代ローマ法が研究されはじめ、この研究成果が大陸ヨーロッパ全域に広がり、ユス・コムーネ(普通法)として法実務を支配したという。しかしながら、キリスト教が国教化されるとキリスト教における倫理観が、法に影響し、婚姻関係や家族関係に深く介入することになったと言われている。
 このようにローマ法は紀元前8世紀から紀元後19世紀までの長期にわたり、各国の法を支配していたのであった。
 話は逸れるが、ローマ法の「元首は法律に拘束されない」(Princeps legibus solutus est.)は、日本でも「君主無答責の原則」として理解され、大日本国憲法の第3条の「天皇は神聖にして侵すべからず」との条項、つまり天皇はあらゆる非難、責任から免れるとされたものとして繋がっていると思われる。なので、民法だけではなく、憲法にも影響を与えたのだろうかと思う。
 これも話が逸れるが、巷間、「法は家庭に入らずというローマ法がある」と言われているが、直接このような法律はなく、正確には、「親族相盗例」を指しているそうで、例えば、妻が夫の所有物を盗んだ場合などに適用されたそうである。つまり、ローマ法は、今でも日本の刑法244条(親族間の犯罪に関する特例)「配偶者、直系血族または同居の親族との間で第235条の罪(窃盗罪)、235条の2の罪(不動産侵奪罪)又はこれらの罪の未遂罪を犯した者は、その刑を免除する」などに生きているのである。なお、NHKの番組によると。東大法学部では、明治時代に「ローマ法」が履修科目だったそうである。