すでにお知らせしましたが、2013年6月、イタリアのトリノ高等裁判所で控訴審判決が出されました。私は控訴審の判決理由をみてはいませんが、高裁でも有罪が維持され、しかも地裁段階では禁固刑が16年だったところ、控訴審では禁固刑が18年になったので、地裁判決の基本的な考え方は維持されているものと思われます。
イタリアの法律など
ところでイタリアには、すでに1956年には粉じん規制があったのですが、1988年には、特定の石綿製品の禁止、一定の閾値以上の場合における建物からの石綿除去の義務化がなされました。そして、1992年には「石綿の利用の中止に関する規則」(257号)により、石綿の採取・生産及び石綿含有の製品の販売禁止、石綿を使用する企業や石綿の除去を専門とする企業に対する調査、石綿を含む建物の調査などが定められました。さらに2000年には労働・社会保障令が布告され、社会保険機構(INAIL)による労災給付金に精神的苦痛も含めることが加えられたと言います。また2008年には、労働者の健康と安全に関する法律(81号)が制定され、それまでに個々に規制されていた法律などがまとめられたそうです。
このような厳しいアスベスト規制があったからこそ、トリノ地裁判決のような判決が生まれたものと思われます。
実は地裁判決は判決理由だけでも713ページに及びます。私には翻訳して理解する能力がないので、個人的に興味ある箇所のみ紹介します。もちろん専門用語の理解は間違っているかも知れませんので、ご容赦下さい。
石綿による肺がんについて
判決の「石綿疾患の病理」の項では、石綿肺、胸膜プラーク、肺がん、中皮腫とそれぞれ病態に応じて石綿曝露との因果関係が認定されていますが、そのうち「石綿による肺がん」について見てみると、次のように判示されています(判決p408~)。
「肺がんは、中皮腫と異なり、様々な要因を有しており、言い換えれば石綿は肺がんの唯一の原因ではないということである。この命題については、すでに基礎的な研究がなされており、1955年のリチャード・ドールによって石綿と肺がんとの関係におけるレポートが発表されているだけでなく、1965年にはビリアニ、モットラとマレンツァーナがおこなったピエモンテ州とロンバルディア州におけるアスベスト疾患の879例についても研究がある。1967年には、この命題に関する科学的文献の新たな再検討が、ドンナによって行われ、この研究で、文献データは高い蓋然性と共に、石綿の労働者において胸膜や肺臓における原発性腫瘍にアスベストが関連していると認めることが可能であると断言している。そして、1987年の再検討においてはJCマクドナルドやADマクドナルドが、1955年のドール報告で成功した仕事において、アスベストと肺腫瘍との間には関連性において不確かさはまったく存在していなかった、と報告している。」
このように肺がんとアスベストとの因果関係は、イタリアにおいてもすでに1965年頃には認識されていたといいます。
実は日本でも、従来、「肺がん」と診断されてきた死亡例について、職歴などを調査して、アスベスト曝露に基づくものだったかどうか、再確認する動きがあります。アスベストの曝露がはっきりすれば死亡後でも労災申請をすることは可能なので、期待が持てます。
企業のトップの責任
トリノ判決のように企業のトップ、最高責任者に対しこのような重い刑事責任及び民事責任が課せられた根拠には、刑法の存在が指摘できます。
イタリアの刑法第437条では「労働上の災害に対する予防の故意による懈怠または撤去」という標題で、「労働上の災害ないし危険を予測しながら、設備、装備、告知など措置を怠った者は誰でも6月から5年の禁固に処する。実際に災害ないし危険を生じさせた場合には3年から10年の禁固に処する。」という重い罰則が定められています。判決では被告人の責任について、この条文が適用されるかが大きな争点をなったようでした(判決文p472~p495)。
この規定について弁護人は「この法条では不作為犯とされているが、作為義務が具体的に規定されていないから憲法で定めた罪刑法定主義に違反している」と主張し、作為義務の内容を具体的にするように求めたようです。
この点に関して判決は様々な観点から検討を行っているのですが、私が理解できた範囲では、要旨、次のとおりのような判示がありました。
「作為義務の問題は使用するべきテクノロジーのレベルの違いであり、その当時において使用できる最良の技術を使う義務が経営者にはあると解釈されるべきである。しかし実は本件では、この点は裁判の重要な争点ではない。なぜならば、本件においてはこの被告人たちにかけられている問題は『最善の方法をとったかどうか』ではなくて、『効果的な防護システムや措置が当時存在していたにもかかわらず、これをを完全に放棄ないし無視したかどうか』なのである。刑法437条において具体的な措置が規定されていない理由は二つある。第1に、どの会社も既に導入している技術・システムと最善の技術を比較しなければならないことになるので、会社が、新しい技術やシステムを導入する蓋然性は低いこと。第2に、仮に高度でかつ有益でありながらより高額な技術が開発された場合でも、その分野の会社が、そのような高度・有益で高価な技術を導入しないとする合意を容易にする可能性があるからである。
石綿セメントの製造分野においてまさに、この本件で問題とされている時期においてこのような事態が既に発生したことを想起すべきである。証人ミッテルホルザーは、1984年から1986年までエテルニット社の代表取締役に就任していた人物であるが、2010年7月に法廷にて証言した。彼によると80年代当初には石綿の代替品として繊維のミックス品が開発され、その新しい繊維のミックスはアスベストセメントと同等の効果を持つとされていた。この新製品の製造が進まなかった理由は、複数の会社がこの新製品や新技術を受け入れることに反対表明したからであるが、その唯一の理由は、経済的な負担ということであった。その結果、新製品の価格は高価なままで維持されてしまい、この新しい技術を使うことを期待していた会社でもこの新製品導入の計画を放棄せざるを得なかったという。」
さらに判決は、被告人ら会社トップらが「最良の技術がすでに存在すると知っていながら、あえてそれを導入しなかった」という事実のみから「故意」と認定することができる、としているようです。
このように労働災害に関して企業のトップに対して実刑判決を下したのは、実はアスベストの判決が初めてではないようです。2007年12月にトリノの鉄鋼工場で7人の労働者が火災のため死亡した事故において、2011年4月15日、トリノ地方裁判所はドイツの多国籍企業ティッセンクルップの最高経営責任者に対し禁固16年6月の判決を出し、その他の役員に対しても最大13年6月の禁固の実刑判決を言い渡しました。
日本では、不祥事を起こした会社の社長はマスコミの前で頭を下げて退任すれば、ことは済んでいるようですが、イタリアとは、ずいぶん状況が異なるようです。
昨今日本では「企業コンプライアンス」が社会的に取り沙汰されていますが、きちんと法的責任そして社会的責任をとる企業は殆どありません。その典型的な例が、あの福島原発事故を起こした「東京電力」でしょう。
企業の法的責任や社会的責任を曖昧にしたまま経済活動のみが行われることになれば、多くの労働者そして市民が犠牲になるような悲惨な結果が生じることは当然の帰結です。