少し疲れていたので、本棚から古い本を取り出した。本の名前は「学生歌集’72」。 発行は「東海学生自治会共同作成委員会」、編集担当役は「金城学院大学、すみれ女子短期大学、東海女子短期大学、名古屋市立保育短期大学、名古屋市立女子短期大学、名古屋自由学院短期大学、名古屋大学、日本福祉大学」となっている。収録曲はなんと360曲あるらしいが、私は半数以上を知らない。
1972年に発行されたということは、私が20歳の頃だから、名古屋大学の学生だったと思うが、誰からこの歌集を貰ったのか、記憶にすら無い。しかし、いくつか覚えている曲もあり、口ずさんでいると、一気に20歳の頃に戻った。
「心さわぐ青春の歌」は,私の好きな曲だった。
1,我らの思いはそれはただひとつ
懐かしき祖国 永遠に栄えよ。
*雪や風、星も飛べば、わが心は、はや遠き地に
2,いかなる不幸がたび重なるとも
ふたりの友情 永遠に変わらず *繰り返し
3,わが足の続く限り進みゆく
わが息の続く限り進まん *繰り返し
4,誰でも一度は恋をするものだ
嵐の中をも恋はつらぬく *繰り返し
5,嵐は吹くとも進め若者よ
偉大な目的 遂げるよろこび *繰り返し
この1972年当時は、ネット等という便利なツールはなかったので、この曲の出処は何も知らなかった。今なら簡単に検索することができる。
この曲は、ソビエト連邦だった頃の1958年に公開された「はるか彼方へ По ту сторону」という映画のテーマ曲で、曲の題名は「心さわぐ青春の歌 Песня о тревожной молодости」という。
この映画は、全ソ連邦レーニン記念共産主義青年同盟(コムソモール)創立40周年を記念して制作されたということで、「ロシア革命時代、極東にソヴィエト政権を打ち立てるためにパルチザン支援部隊に資金を届ける任務を負ってに派遣されたコムソモールの2人の赤軍兵士の若者、ヴィクトルとアントンを描いた映画」ということだ。
アレクサンドラ・パフムートヴァ作曲、レフ・オシャーニン作詞。
You Tubeで聞くことができるが、2人の若者が深い男声で美しいハーモニーを奏でているので、聞いているだけでほれぼれしてしまう。
ロシア語の歌詞の意味についても、ネットで検索することができる。
なお、私のシステムではロシア語のyoが出ないので、正確な引用ではない。申し訳ありません。
1,Забота у нас простая,
Забота наша такая
Жила бы страна родная,
И нету других забот.
* И снег, и ветер,
И звезд ночной полет.
Меня мое сердце
В тревожную даль зовет.
2,Пускай нам с тобой обоим
Беда грозит за бедою,
Но дружбу мою с тобою
Одна только смерть возьмет
*
3,Пока я ходить умею,
Пока глядеть я умею,
Пока я дышать умею,
Я буду идти вперед.
*
4,И так же, как в жизни каждый,
Любовь ты встретишь однажды,
С тобою, как ты, отважно,
Сквозь бури она пройдет.
*
5,Не думай, что все пропели,
Что бури все отгремели,
Готовься к великой цели,
А слава тебя найдет.
*
このロシア語の歌を日本語に訳したものを見つけたので、引用する。
1,我等の使命はただ一つ、我等の使命はこんなもの
愛する祖国を守り抜く、それより他にすべきことはない
*雪が、風が、そして夜の星の飛翔が
私の心を不安な彼方へと呼んでいる
2,私と君とを 度重なる苦難が襲っても
私と君の友情は、私が死ぬまで続くだろう
3,歩むことが出来る限り、眼でものを見ることが出来る限り
呼吸することが出来る限り、私は前進を続けるだろう
4,人生のうちであらゆる人がそうであるように
君も愛する人と一度は出会うだろう
その人も君と同じように
君と一緒に嵐の中を歩んでいくことだろう
5,全ての人が歌い終わり、全ての嵐が轟きを終えたと思うな
大いなる目的に向かい気を引き締めよ
そうすれば栄光が君を見出すだろう
私が驚いたのは、この「心騒ぐ青春の歌」が、古くなっていて誰も歌わなくなったわけではない、ということを知ったことである。
沖縄ではさまざまな闘いがあり、その闘いを勇気付けるために、実に多くの替え歌があるそうだ。その替え歌の一つに「辺野古抵抗の歌 ~やんばるの歌」があり、元歌はなん「心騒ぐ青春の歌」であるという。しかも、この替え歌をデニー知事が2018年12月の辺野古の集会で歌ったという。真偽のほどは知らないが、そのようなことがあってもまったく不思議ではない。
1、我らの想いは それはただ一つ
麗しのうちなぁ 非武の島よ
*海や森 空も澄めば わが心は やんばるの地に
2,いかなる弾圧が 度重なるとも
われらの友情は 永遠に変わらず *(繰り返し)
3,誰でも一度は 恋をするものさ
嵐の中でも 恋は貫く *(繰り返し)
「やんばる」とは「山原」と書き、沖縄本島の北部にある、山や森林など自然が残る地域を指すらしい。この替え歌は、沖縄の自然を守りたいという大切な心を歌ったものという。日本政府が米軍のために作ろうとごり押ししている辺野古基地は、まさに山原の地にある。
心を打つ、闘いの歌は、何時までも歌い続けられるのであろう。