先回紹介したBさんの裁判の判決では、名古屋地方裁判所は、「本件災害はBが従事した業務に起因するものというべきであるから、これを業務上の災害と認めなかった本件処分は違法であり、取り消されるべきである」と判決をした。つまり豊田労働基準監督署の不支給処分は違法だと認定された。
このBさんのケースではいろいろな論点がありそうであるが、第1に、時間外労働時間管理についての問題があると思う。
判決は、Bさんの上司であるKがBの労働時間を管理していたというものの、その内容を信頼することができないと判断した。一体、なぜそのような事態がおきたのか不明であるが、トヨタ自動車ほどの企業であれば、例えば、全労働者に出退勤のカードを持たせて、工場の門を出入りする際にカードでチェックすることで自動的に時間外労働を管理するという方法を採用することなどができたと思われる。
時間管理表を自己申告によって記入する方法や上司が作成するという方法では、どれだけでも虚偽の時刻を記入することができるので、真実の時刻が記載されていないことが多い。まずもってトヨタ自動車は労働者の労働時間管理を正確に実施していなかったことが問題にされるべきであろう。
ところで豊田労基署は、Bが時間外労働している事実について、「出社時間と退社時間からわかることは在社時間であって労働時間ではない。在社の全部が労働時間ではなく、雑談していたりして職場にいる必要がないのに残っていただけである」などと反論していた。「労働基準監督署がそういう主張をするのか」と私は非常に驚いた。
Bさんの件では、Bさんが心停止状態になったのは午前4時20分であった。本来であれば午前1時に仕事を終えて帰宅するべきであるにもかかわらず午前4時20分まで詰所にいて業務に従事していた。このように深夜、大部分の人が寝ている時刻に雑談のために午前4時20分まで在社したいと希望する労働者が一体どこにいるのだろうか。豊田労基署はトヨタ自動車の職場における深夜交替勤務の実態を十分に調査して労働実態を正確に認識すべきである。
ところで、いろいろな情報を探してみると、2006年8月に「豊田労基署署長ら,漏洩先企業の法人会員権でゴルフ」という新聞報道があった。この記事によれば、次のようであった。
豊田労基署には労基法違反や労働条件などの相談に応じる非常勤の国家公務員が総合相談員として配置されていた。
豊田市に本社や工場をもつ自動車部品製造会社Xの元労働者Yは、定年退職後に豊田労基署の総合相談員として採用され相談業務を行っていたが、X社の労働者Zが、豊田労基署に来て労働基準法違反と思われる内容の告発をしたそうだ。本来であれば、相談員Yは労基署としてきちんと調査するべきところ、なんとYの出身企業だったため、Xに対してZの内部告発に関する情報、例えば告発者の氏名や告発内容などをXに伝えたという。
驚くような話であるが、労働相談員の採用条件をみると、企業で労務管理実務経験のある者、社会保険労務士の実績のある者とあるので、このような事態は十分に予想されることである。しかも、豊田労基署の署長や課長はYからX社のゴルフ場割引券を貰って、Xの社員などと一緒にゴルフをしたという。
労働基準法99条では「労働基準監督署長は、都道府県労働局長の指揮命令を受けてこの法律に基づく臨検、尋問、許可、認定、審査、仲裁その他この法律の実施に関する事項をつかさどり、所属の職員を指揮監督する」とされており、非常に強い権限を持っている。さらに同法第101条では、労働基準監督官の権限につき、「事業場、寄宿舎その他の付属施設に臨検し、帳簿および書類の提出を求め、又は労働者に対して尋問を行うことができる。」と定め、同法102条では「労働基準監督官は、この法律違反の罪について刑事訴訟法に規定する司法警察官の職務をおこなう。」としている。
このように労基署長も、また労基署に配属されている労働基準監督官も非常に強い監督・指導権限を持っているのである。労働基準法違反を行うのは使用者なのであるから、企業とはきちんと距離をとり違法が疑われる事態があれば企業がなんと言おうとも直ちに対処する義務がある。従って、上記のようなX社と豊田労基署長や課長などの関係は、あってはならない不正な癒着というべきであろう。
報道によれば、豊田労基署の署長などは、国家公務員倫理法違反で戒告処分を受け、
内部告発についての情報を漏らした相談員は国家公務員法の守秘義務違反で戒告処分とされたという。
結果が甘すぎるとは思うが、そもそも労基署で働く総合相談員として採用する場合には、少なくとも当該労基署の管内の企業で労務管理の仕事をしていた労働者を採用するようなことはすべきではないだろう。
第2の論点は、QCサークルなどの活動である。
QCサークル活動については、トヨタ自動車75年史をみると、いかに企業として力を入れていたが良く分かる。
「トヨタがQC(品質管理)を導入したのは、戦後であるが、すでに戦前においてその起点を見いだすことができる。・・まず1949年末に緊急の課題であった製造工場での不良品低減に対して、特性要因図に基づき不良の要因を検討し、その要因のばらつきを管理図で明らかにすることで対策につなげる、というQCアプローチが導入され、翌年機械工場で管理図法が試験的に適用された。・・1951年に創意工夫提案制度が発足した」という。
具体的にどのような方法でQCサークル活動がなされたかについてトヨタは詳細を書いていないが、聞くところによれば、例えば製造工場では、ラインが止まった後にチーム員8~10名が職場に残って会議室で製造工程の見直しや、工具の使用方法など実際に作業にあたって感じたことを意見として出し合って話合い提案として纏めていくという方法だという。つまり労働契約上の業務が終了した後の活動をいう。
このQCサークル活動などは、すべて「自主的業務」であるとして、トヨタ自動車が労働者に対しまったく賃金を支払わなかった。
さらに75年史では、「1993年(平成5年)からNewQCサークル活動が展開された。管理監督者がQCサークルの本来の狙いを再度理解し、これに沿った活動に導くため管理監督者の教育などが実施された。創意くふう提案制度においては、提案件数が過熱し、改善提案を通じた上司から部下への指導が難しくなる現象も見られたことから、審査基準や表彰基準が見直されるとともに、提案件数の全社目標が廃止され、量の拡大から質の向上への転換が図られた」と書いてある。
「提案件数が過熱した」とさらりと書いてあるが、なぜ過熱したのか記載はない。しかし、おそらく提案件数が多いことによって昇進や昇格などの人事考課が大きく影響したのだろうと容易に推測することができる。
Bさんがいた頃の平成12年の提案件数をみると、年間65万9589件、1人当たり11.9件となっている。ちなみに1986年には264万8710件、1人当たり47.7件となっている。しかし、トヨタ自動車の75年史では、これだけの量の提案をするために労働者がどれだけの時間を使っているのか、時間外労働手当の不払い額が幾らあったのか、そしてトヨタはこれほど大量の改善提案によってどれだけ企業利益を得たのか、なにも記載していない。
ところで、Bさんの判決で「QCサークル活動」と「創意くふう提案」については、裁判所は業務性を認めたため、トヨタ自動車は、判決のあった2007年11月の後の2008年6月からQCサークル活動の時間について時間外手当が支給されるようになったという。ただし、月2時間という制限があり、2時間以上活動する場合には上司の許可が必要になったという。
トヨタ自動車が莫大な企業利益を上げ、今の地位を築いてこれたのは、労働者がQCサークルや創意くふう提案などの活動をしてきたこと(=品質向上)とこれらの活動について「ただ働き」としてきたこと(=コストカット)によって支えられてきたからである。