- Non accipimus brevem vitam sed fecimus.
我々の受ける生は短いのではなく、我々自身が生を短くしているのだ
「これはセネカが『パウリーヌスに寄せる生の短さについて』の中で述べていることばで、実は、『生は短く、術は長い』という言葉に対する反論というか批判なんだ。
ラテン語だが、イタリア語では、Non è la vita che è breve, siamo noi che la rendiamo tale. というらしいよ。セネカは、我々には,わずかな時間しかないのではなく、多くの時間を浪費するのである。人間の生は,全体を立派に活用すれば十分に長く、偉大なことを完遂できるよう潤沢に与えられている、と述べているんだよね。」
「人生の浪費ってどういうことを指しているのだろう?」
「セネカは、ある者は飽くなき貪欲の虜になり、ある者は無駄な労役に呪縛され、ある者は酒に浸り、ある者は怠惰に耽るなどと例を挙げている。また、多くの者は他人への幸運へのやっかみか、己の不運への嘆きに終始するなどとも言っているよ。」
「でも、ヒッポクラテスは医学者だから、病気の原因を突き止めたり、その治療法を探したり、治療方法を習得したりするには時間が掛かる、と言っているんだよね。だとすれば、セネカの反論はなにか筋違いな気もするけど。」
「セネカの生きた時代、つまり紀元前1世紀前後、そしてセネカの活動している古代ローマ帝国の時代の貴族社会では、きっと酒や性に溺れたり、飽食に明け暮れたり人が多かったのかも知れないね。」
- Tanti galli a cantar non fa mai giorno.
沢山の雄鳥が鳴いては夜が明けない
「日本では、『船頭多くして、船、山に上る』という似たようなことわざがあるね。指示を出す人が多すぎて方針や行動がまとまらないと、結局、物事が変な方向へ進んでしまうことだね。」
「ここでは雄鶏だね、やはり朝を告げるのはどの国でもオスの鳥だね。たくさんの雄鶏がバラバラにコケコッコーと鳴くと正確な時刻が分からなくなるし、うるさくて却って良く聞こえないから、1羽だけで良いということかな。」
「雄鶏については日本には、『雌鶏勧めて雄鶏時を作る』ということわざがある。ここにいう時を作るとは、朝が来たと鳴くことだ。このことわざの意味は、夫が妻の意見に動かされるということ。表向きには夫が時を作って鳴くが、『早く鳴きなさいよ』と急かすのは妻ということだろう。面白いねえ」
「そういえば、今朝、妻から『早く顔を洗いなさい。子どもが待っているから』と言われたよ。」
- Amore senza baruffa fa la muffa.
喧嘩しない愛は、黴びる
「意見の違いがあっても喧嘩しないようならば、カビが生えてくる、ということで、喧嘩する位の信頼のある愛こそが本物で長続きするということだね。
baruffa とmuffa と韻を踏んでいるので、覚えやすいね。」
「日本でも、『仲がいいほど喧嘩する』ということわざもあるよね。仲がいいと、お互いに本音をいうので、どうしても意見の違いがでてきて、衝突してしまう。でも、お互いに意見を言い合った後は、お互いの理解が一層深まって,結局元通り仲良くなれるということだね。」
「たとえ,相手を批判するようなことがあっても、それだけでは人間関係は壊れないという,相手に対する強い信頼関係が必要だね」
「じゃ、私に何か言いたいことある?」
「いや、遠慮しておくよ。」
- Traduttore è traditore.
翻訳者は裏切り者
「良く似た単語で作られたことわざだから覚えやすいね。
辞書によると、traditore の動詞はtradirで、語源のラテン語はtraderだそうだ。
これは『trans(向こうに)+dare(渡す)』、つまり相手に渡すというのが原義だというよ。ユダが裏切ってキリストを引き渡したことから、裏切るという意味になったという。」
「なるほど、語源が分かると理解が深まるね。じゃtraduttoreはなに?」
「traduttoreの動詞はtradurreで、ラテン語は traducere。 『trans(向こうに)+ducere(運ぶ)』、つまり,あちらに運ぶと言うのが原義だそうだよ。」
「イタリア語とラテン語の関係が良く分かるね。」
「いずれにしろ、翻訳には誤訳もあるかも知れないから、原典に当たって正確性を期することが必要だね」
「実は、このシリーズを書いている私が一番気にしないといけないなあ」
- Impossible, n'est pas français.
不可能という言葉はフランス語ではない
「これはフランス語でしょう?どうしてイタリア語のことわざの中に入るの?もちろん、イタリア語もフランス語も基本はラテン語で、このシリーズにはラテン語の名言などを紹介しているけど。」
「この言葉は、有名なナポレオンが言ったとされている。日本では、『余の辞書に不可能の文字はない』として知られているよ。
このナポレオンは、フランス人だと思われているけど、ややこしいんだよ。
ナポレオンは、1769年8月15日に生まれ、1821年5月5日に死亡したという。彼が生まれた場所はコルシカ島で、この島は地中海の真ん中にあるサルデーニア島のすぐ北側にある。今はフランス領だが、紀元3世紀頃からローマ帝国の支配下に入り、中世になると、イタリア半島の都市国家であるピサとかジェノバの支配下に入った。しかし、ジェノバの支配に対して独立運動が起きるなどしたので、1768年には、フランスの支配下に入った。つまり、ナポレオンが生まれたその1年前にフランス領になったのだよ。
ナポレオンの出生名は、ルイ・ナポレオーネ・ディ・ブォナパルテというイタリア語で、このブォナパルテの家系の先祖は中部イタリアのトスカーナ州にあったらしくて『ブオナ+パルテ』は、良い部分ということで、ナポレオーネというのは、『ナポリ+レオーネ』つまりナポリのライオンという意味なんだよ。」
「そうなんだ。先祖はイタリアにあったんだね。じゃ、出自はイタリア人?あるいはジェノバ人かな?」
「難しいね。今のイタリアが国として独立したのは、リソルジメントが完成した1870年とされているから、それ以前は,イタリア半島の北などはフランス領だったしね。実際、トリノなどの北イタリアの人はフランス語を話せる人もいるくらいだ。」
「ヨーロッパは、遅くとも紀元前27年にローマ帝国ができた時から、いろいろな地域の民族や集団からなる国や領国が合併や分割など離合集散しているから、何人という区分けは非常に難しいね。だから歴史としても、単純にイタリアの歴史ではなくで、ヨーロッパの歴史として研究されているんだね。」
- Funiculì, Funiculà,
フニクリ、フニクラ
「この歌は有名だね。日本でも子どもの頃から歌っているよ。
赤い火を噴くあの山へ、登ろう,登ろう。そこは地獄の釜の中、覗こう,覗こう。
登山電車ができたので誰でも登れる。流れる煙は招くよ、みんなを、みんなを」
「この火山はどこか知っている?」
「もちろんだよ。だって、日本の歌の2番には、『あれは火の山、ヴェスヴイオス』とあるから、日本人は、この山がイタリアの火山で有名なヴエスビオスだと知っているさ。」
「そのとおりだよ。1880年にヴェスヴィオ山の急勾配を登る鉄道の登山電車(フニコラーレ)を運営する会社の依頼によって、ルイージ・デンツァが作曲した。この年のピエディグロッタの祭典で発表されると、一躍、親しまれる歌となり,世界的に有名になった。コマーシャルソングだけど、ナポリ弁で書れているところが特徴的だね。また歌の内容も日本とは少し違うんだよ。残念ながら、1944年のヴェスヴィオ火山の大噴火で、この鉄道は破壊されたので、今はもう乗れないけれどね。」
「ええっ、歌の意味が違うって、どういうこと?」
「元のナポリ弁の歌はこういう風だった。ただ、いろいろな表現があるけどね。
1番は
Aissera, Nanninè, me ne sagliette, tu saie addó, tu saie addó,
Addó 'stu core 'ngrato cchiù dispiette, Farme nun pò Farme nun pò!
Addó ilo fuoco coce, ma si fuje, te lassa stà! Te lassa sta!
E nun te corre appriesso, nun te struje, Sulo a guardà!. sulo a guardà.
Jammo, jammo, 'ncoppa, jammo ja', Jammo, jammo 'ncoppa, jamme jà,
funiculì, funiculà!
ところが、3番がなんと、いきなりのプロポーズなんだよ。
Se n'è sagliuta, oje Nè, se n'è sagliuta, La capa già! la capa già!
È gghiuta, po' è turnata, po' è venuta,Sta sempe 'ccà!
La capa vota, vota, attuorno, attuorno, attuorno a tte!
Sto core canta sempe nu taluorno, Sposammo, oie Nè! Sposammo, oie Nè!
Jammo,,,,,,,,,,,,, 」
「ちなみに、このナポリ弁を共通のイタリア語で書くと、次のようになるそうだ。
1番は
Ieri sera, Annina, me ne salii, tu sai dove?
Dove questo cuore ingrato non può farmi più dispetto
Dove il fuoco scotta, ma se fuggi ti lascia stare!
E non ti corre appresso, non ti stanca, a guardare in cielo!...
Andiamo su, andiamo andiamo, funiculì, funiculà!
3番は
Se n'e' salita, Annina, se n'è salita la testa già!
È andata, poi è tornata, poi è venuta.. sta sempre qua!
La testa gira, gira, intorno, intorno, intorno a te!
Questo cuore canta sempre un giorno, Sposami, Annina!
Andiamo su, andiamo andiamo, funiculì, funiculà! 」
「全然違うね、他の国の言葉みたい!!」
「そうなんだ、ナポリ弁など方言の発音は、現代の標準イタリア語とは全然違うから、聞いても分からないんだよ!」
「なるほど、結局、フニクリ・フニクラは、好きな女性から冷たくされたので登山電車に乗って火山の頂上に登って、そこからはフランス、プロチダ、スペインまで見えるけど、君を見ているんだ。結婚しよう、という求婚の歌なんだ。さすがイタリア人らしいよ。」
「この歌は、これからプロポーズするときに歌われるかも知れないねえ。まさに火のように熱々の心だもんねえ」