- Il pesce puzza dalla testa.
魚は頭から腐っていく
「これは、指導者の腐敗が破滅の原因、という意味だ。つまり魚を会社などの組織に喩えて、社長とかボスなど上層部から先に腐っていくということを言ったんだ。日本の政治もそうだね。過去の例をみても、総理大臣とか、大臣や国会議員など、社会的地位の高い政治家の方が政治資金や賄賂などで違法なことをしているよ。」
「でも、こういうことわざは、日本ではあまり聞かないね。調べたら、ヨーロッパ辺りのことわざだという。
ちなみに、日本では『権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する』(Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely)という格言が良く知られているが、この格言はイギリスのジョン・アクトンという歴史学者が言っていたという。調べていたら、この学者はナポリで生まれたそうだよ。」
「そのうち、日本でも、このことわざがたくさん使われるようになるんじゃないかな。ところで日本では『腐っても鯛』と言って、鯛のような高級な魚は、つまり優れたものは,痛んだとしてもそれなりの値打ちが持っている、というしね。このことわざとは逆だね、どうしてかな。」
「そのほか腐った魚については、日本には『鯖の生き腐れ』と言って、外からは新鮮なように見えるけど、捌いてみたら中が腐っていたというのもある。例えば、広告など派手な宣伝をやってても法律違反とか問題ばかりの会社もあるし、国会議員として議員バッチを光らせていても、その資格を疑うような非道い人もいるしねえ」
「・・・魚は新鮮が命だから、大切だね。寿司、食べに行こう!」
- Non c'è pesce senza lische.
骨のない魚はいない
「楽しみには少々の苦痛がつきもの、という意味だね。確かに骨を取るのを忘れると喉に刺さってしまうから痛い思いをするので、苦労して骨を取ってしまえば、魚を美味しく楽しむことができるね。」
「なにか仕事を完成するためには面倒なこともあるが、頑張ってやってみる価値はあるということだ。」
「骨のない魚はいないかなあ」
「あるよ、子どものためにスーパーでは骨を取った切り身の魚を売っている。」
「なるほど、そればかり食べていると、魚にはもともと骨はないと信じ込む子どもができちゃうんじゃないかな。」
- Pancia piena non crede a digiuno.
満腹は空腹を知らない
「Digiunoとは、断食あるいは絶食という意味なので、空腹ということだね。
満腹になっている人は、空腹の人のことが分からないという意味から、金持ちは貧乏人の苦しさが分からないという解釈もある。」
「今でも,世界中に空腹の人がいるというニュースが毎日のように流れているね。特に戦争や大災害のがあって食料がまったく無いと大変だよね。世界中の人が、このようなことがないように努力しないといけないね」
「日本の憲法でも前文で、『我らは、全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することと確認する』と明記している。つまり、日本の憲法は日本国民だけではなく、全世界の人が欠乏からの自由を持っていることを宣言しているんだ。」
「ところが日本の場合は、戦争とか大災害だけではなく、日常的に食料自給率が減っている。2020年におけるカロリーベースで比較すると、日本は37%、スイス51%、イタリアは60%、イギリス65%、ドイツ86%、フランス125%、アメリカ132%、オーストラリア200%、カナダは266%となっている。先進国では日本は最低なんだ。1965年には日本の食糧自給率は70%以上あったのに、農産物を海外から輸入するようになって、政府は、米の減反政策とか国内では十分な生産ができないようにしている。だから、もし戦争などがあって農産物などの輸入がストップすれば、日本に住んでいる人は、みな飢えて死ぬことになる、と警鐘を鳴らしている人は結構多いんだ。」
「つまり私は昨日、夕食をいっぱい食べて満腹になったけど、日本という国の単位でみると、本当は空腹なんだね。」
「そう言えるかもね。」
- La fame condisce tutte le vivande
空腹は料理の最良の味付け
「お腹が空いていると、簡単な料理でも美味しく感じて食べることができるよね。 これに似た言葉で、La fame è il miglior companatico(空腹にまさるおかずはなし)という言葉もあるけど。日本人だと、お腹が空いているときには、米と塩で作ったおにぎりが一番美味しいので,おかずは要らないと思うのと同じかな。」
「逆に、La fame e' cattiva consigliera(空腹は悪い助言者)ということわざもあるが、この場合だと、空腹なときには頭が回らなくて良い智恵が出てこない、という意味だね。
だから、やっぱり空腹の時にはちゃんと食べた方がいいね。
「ところで最近の日本では、熊が山から下りてきて、畑を荒らしたり,時には人に怪我させたりしている事件が多い。まさにLa fame caccia il lupo dal bosco(空腹は狼をも森から追い出す)のことわざ通り、空腹は人間だけではなく、あらゆる動物にとっても良くないね。そう、地球の温暖化は、人間だけではなく、生物全体の食料問題に直結しているね。」
「この美味しいおにぎりをいつまで食べることができるのかあ」
- Il lupo perde il pelo ma non il vizio
狼は、毛をなくしても、悪い癖を失うことはない
「狼は年に2回換毛期があって、春になると毛が抜け落ちてしまうんだ。そのかわり秋には冬のためにふわふわの毛になるそうだ。だから、狼は夏と冬では見た目がずいぶん変わるんだ。だから、このことわざは、人は外観や行動など表面を繕っても、その本質は変わらない、という意味だ。」
「ところで、このことわざにある『狼』は、古代ローマ帝国で、強欲で知られるヴェスパシアーノ皇帝を指していると言われているけど、どういうこと?」
「イソップの寓話で『狼と羊飼い』というのがあって、羊の群れを任されている羊飼いが、狼が大人しいので、ある日羊を狼に任せて町に行ったところ、帰ってきたら、羊の群がほとんど狼に食べられていたという話だよ。結局、守銭奴や欲張りな人に大事な預け物をする人はそれを奪われても当然だ、と言う教訓になっているんだ。」
「皇帝のヴェスパシアーノが、その狼だっていうの?」
「この皇帝は、貪欲ということで悪名が高い。例えば商品を大量に安く購入し、これを高い値段で小売りするとか、行政官に立候補した人や恩赦を受けたい人には高額な賄賂を要求するとか、数え切れない程だという。つまり乾いたタオルを絞るように、取り立てたということらしい。」
「皇帝は牛飼いから『奴隷の身分から無償で自由市民にしてほしい』と懇願されたが、彼がこれを拒否したので、この牛飼いは皇帝をこの寓話の狼に喩え、皇帝は異常な強欲だと言って、このことざわが広まったそうだ。ただ、この当時は狼ではなく狐だったとされている。もちろん狐も換毛期があるからね。」
「ねえ、驚くべきことがあったんだよ。皇帝のことを聞こうとおもって、友達のイタリア人に、『ヴェスパシアーノって知っている?』と聞いたら、『公衆便所のことだね』って言ったんだ。確かに、古代ローマには公衆便所はなくて、道で立ってしていて、この皇帝が座って用を足すことのできる公衆便所を作ったという。そのため、この皇帝の名前『ヴェスパシアーノ』という言葉をそのまま公衆便所として使っているらしいけど、ホントびっくりした」
「狼だとか、ケチだとか、トイレだとか、なにか、かわいそう。」
- Noli me tangere.
私に触れるな
「これは有名な句だね。ラテン語だけど、イタリア語では、non mi toccareという。
ヨハネによる福音書に出てくるが、イエスが復活したときに、マグダラのマリアに対して言った言葉だとされている。マリアが墓の外にいて墓の中を見ていたときの会話だが、イエスが『マリア』と呼びかけた。そして彼女は振り向いて,ヘブライ語で『ラボニ』(先生という意味)と言った。するとイエスは、『私にすがりつくのはよしなさい(me mouhaptou)。まだ父の元に上がっていないのだから』と言ったそうだ。そしてマグダラのマリアは弟子達のところに行って、『私は主を見ました』と告げたという。」
「キリストが復活するという劇的な場面だから、この場面を書いた絵画は多くあるが、イタリアのフィレンツェのサン・マルコ修道院(美術館)にあるフラ・アンジェリコの絵画はとても有名だよ。
フラ・アンジェリコとは天使のような修道士ということで、本名ではない。1438年以降、コジモ・メディチからサン・マルコ修道院内部の僧坊や回廊,会議場などに多くのフレスコ画等を描くことを任されたというね。」
「実は、私はイタリアに旅行したときに、この絵をみてきたよ。Noli me tangereの絵は修道院の僧坊に描かれていたよ。僧坊自体が装飾のない質素な部屋で落ち着いていて、フレスコ画も赤や青、金など派手な色が使われていなくて、とても優しい感じがするし、キリストやマリアの大げさな動作もないから、却って神聖さが出ているように思う。」
「本当にそうだねえ。宗教画って、背景となったキリスト教のことを理解する必要があると思うけど、分からなくても感動を受ける絵画はたくさんあるよねぇ。」