1. L'orror di chi l'uccise vivo nel cor mi sta!

彼女を殺した者への憎悪は,私の心の中に生きている

「この言葉は、プッチーニのオペラ『トゥーランドット』の主人公,中国の皇帝の娘トゥーランドットが、求婚してきた男性を殺すという残酷なことをしてきたことに対する、彼女の説明の言葉だ。詳細な事実は不明だが、幾千年も前、彼女の祖先に当たるロー・リン皇女が国を治めていたが、曲ったことの嫌いな彼女は過酷な支配者に対して立ち上がった。ダッタン人の王が攻めてきて戦争をしたが、その王が勝った。そのときにロー・リン皇女は捕らえられて王宮にて殺された。そしてトゥーランドットは、この皇女の死に対する復讐心を持ち続けているということだ。」
「ちょっと待って。その殺されたロー・リン皇女というのは、トゥーランドットの母とか親族や友人ではなく、何千年も前の先祖の女性だね。しかも、数千年前のことで、あまり記憶にも記録にもない事件だよね。その憎悪を理解するのは困難だと思う。」
「国とか民族として考えると、はるか昔のことでも、長く憎悪や復讐を持ち続けることがあるかもしれないね。」
「このオペラの中の『誰も眠ってはならぬ』という曲は、2006年冬季オリンピックがイタリアのトリノで行われたとき、フィギア・スケーターの荒川静香が、この曲をバックに演技をして見事金メダルを獲得した。彼女の演技は、流れるような美しい動きと凜とした気品があったから、この曲は日本でも有名になったと言われている。」
「ちなみに、トリノ冬季オリンピックのときに、ルチアーノ・パヴァロッテイが、『誰も眠ってはならぬ』を歌ったそうだよ。」

  1. Princeps legibus solutus est.

元首は法律から免れている

「君主には法律遵守義務がない、という意味で、日本ではいわゆる『君主無答責の原則』と解釈されている。これは古代ローマの皇帝が、皇帝は法律の上に立っているという考え方を持っており、それがローマ法大全にも書かれたということだ。
 現代イタリア語では、Il Principe è sciolto dalla legge.というらしい。
 その後、ヨーロッパの絶対的専制君主が登場して、『政治権力は法律に優位する』となったようだ。つまり法律とは、臣下を含む民衆に対して適用されるもので、君主は、その法律を自由に決めることができるし、法律上の制限などを受けることはないと考えられたのだろうね」
「それは、王権神授説とつながっているのかなあ。つまり君主の権限は神が与えたものだから、神以外には従う必要はない。ということだね」
「まさに明治にできた大日本国憲法の第3条には『天皇は神聖にして侵すべからず』と定めていて、天皇はあらゆる非難、責任から免れるということが明記されていたんだ。」

  1. In conventionibus contrahentium voluntatem potius quam verba spectari placuit.

合意においては、文言よりも契約締結者達の意思が、むしろ考慮される

「これは古代ローマのパピアーヌスという法学者が言った言葉だそうだ。これはラテン語なので、今のイタリア語では、Nelle convenzioni si deve aver riguardo alla volontà dei contraenti piuttosto che alle loro parole.となるようだ。
 このような考え方は、例えば、『法律を理解することはそれらの文言を把握することではなくて意義及び効用を把握することである』などと解されて、一般的な支持をうけているそうだ。他方で、『法律の文言から逸れるべきではない』という考えもあるようだ。」
「法律の文言や契約書の文言をどのように解釈するかは,難しいね。今の日本の法律でも概念の定義が規定されているね。例えば、民法3条では『私権の享有は出生に始まる』とあるから、胎児には権利はないのが原則とされているし、民法85条では『物とは、有体物をいう』とされているから、株や債券などは物ではない。」
「でも、時代の変化によって定義が通用しなくなる場合もあるから、定義が抽象的で一般的な表現になっているのは、そのような場合にでも適用できるように考えたからだろうね。」
「なるほど,法律を作ったり契約を締結する場合には、その後いろいろな事態が発生する可能性があるから、その法律の趣旨や契約の目的などを明確にしたりすることは大切なんだね。古代ローマの法学者はすでにそういうことも考えていたのだね。」

  1. Nullum crimen sine lege, nulla poena sine lege.

法律がなければ犯罪なし、法律がなければ刑罰なし

「現代における罪刑法定主義の趣旨を表現したものと言われている。ラテン語で書かれているが、今のイタリア語では、Non c'è crimine senza legge, non c'è pena senza legge.というらしい。
 この言葉は、とても有名だが、近代刑法学の基礎を気づいたとされるアンゼルム・フォイエルバッハの1801年頃の書籍に書かれているとされてるよ。」
「罪刑法定主義といえば、イタリアのチェーザレ・ベッカリーアの『犯罪と刑罰』(1768年)が有名で、刑法の教科書には必ずでてくる。彼は啓蒙思想家であって、かつ法学や経済学にも精通していた。ルソーの社会契約論の見地から、人間は社会契約において自己の生命を剥奪することまで承認したとは見做されないから国家には死刑の権利がないと主張して死刑廃止論を展開した。その他、犯罪と見做すべき事項を法律で厳密に定めておくこと、法の適用は万人に平等であること、犯罪と刑罰はバランスがとれていること,犯罪の認定には十分な証拠が必要であり拷問や強要による自白は証拠にならないこと、逮捕や監禁はむやみにすべきではないことなど,現代でも重要な主張が含まれている。」
「ベッカリーアがこの本を出した時代、1700年代後半は、まだキリスト教の勢力が強く、王侯貴族の封建的権力が猛威を振るっていた時代だったから、彼のこの思想は革命的だったんだね。だから、フランス革命やそれを進めた多くの啓蒙思想家に大きな影響を与えただけではなく、フォイエルバッハの罪刑法定主義として定式化されたんだね。」

  1. Ma volubole sovente è  l'uom. Un dì, quando le veneri il tampo avra ugate, fia presto  il tedio a sorgere...

移り気なのは男の方、時の流れに何時の日か、色香も失せて、飽きの虫が頭をもたげてくるときも・・

「この歌詞は、ヴェルデイが作曲したTraviataというオペラの一節だよ。日本では『椿姫』という題で知られているが、Traviataという意味は、『道を外れた女性』という意味で売春婦をさしているそうだ。実際、主人公の女性ヴィオレッタは高級娼婦と設定されている。この作品ができたのは、1853年だったというから、まだ、貴族の間でも高級娼婦がいたんだね。」
「だけど、世間は厳しくて、ヴィオレッタにアルフレードという恋人ができたときには、彼の父親から、息子と別れてくれと強要されるんだ。そのときの言葉が、これだ。やはり娼婦は家族の一員としては歓迎されていなかったんだ。息子もいつかは飽きてくるだろうから、今のうちに別れて欲しいということなんだよ。女は若くてきれいなうちが花だということだね。」
「売春婦という仕事は世界で一番古い職業だとか言われているし、聖書でも触れられているけど、女性の体を金で買う男性は非難されないんだね。」
「このオペラの第1幕で、『乾杯の歌』というのがあって、とても有名だね。
この中でヴィオレッタが歌うのは、Godiam, fugace e rapido è  il gaudio dell'amore; è un fior che nasce e muore(愛の悦楽とは束の間のはかないもの、それは咲いては散っていく花)という内容だね。だから、ヴィオレッタも、自分の立場が分かっていたんだね」

  1. Jure proprio familiam dicimus plures personas , quae sunt sub unius potestate aut natura aut jure subjectae.

私達は、ただ1人の人の権力の下に、あるいは自然に従って、あるいは法に従って,服属している多くの人々を,本来の法に従った家族と言う

「これもラテン語なので、現代イタリア語でいうと、次のようになる。
 Diciamo la famiglia più persone  che sono sottoposte alla potestà di uno solo o per natura o per diritto.
 これは古代ローマのウルピアーヌスという学者が言った言葉だそうだ。ローマ法においては家族は根源的な概念であって、家族とは、家長(家父)、家母(家長の妻で夫の手権に服している人)、家息、家娘、孫男、孫女などから構成される。そして、家長(家父)は、自分の子と妻に対する完全な権力を有し、その家長権は、その権力に服している者を殺害し、懲戒し、追放する権利も含んでいたという。そして家長権に服している者は権利主体と見做されず、私法上の行為をなし得るものの、その効力は、すべて権力保持者に帰属したという。」
「人を殺すって凄く大きい権力だね。」
「具体的なことは時代によって違うかも知れないが、世界的に『家父長制』という制度が当然視されていて、日本でも明治民法には、同じような内容の規定になったが、多分、ローマ法による影響もあったと思うけどね。」
「家父長制については、戦後、日本の民法は両性平等原則によって変わったはずだけど、実態としては、家庭での夫婦の役割分担とか、結婚する際には、どちらかの姓を選ばなければならないとか、家父長制の名残はしっかりと残っているね。」
「イタリアも家父長制の強い国と言われているようだけど、家族とか家とか、一体なんだろうね?」