1. NELLE SCIENZE MATEMATICHE SAPIENTE
    GLORIA D'ITALIA E DEL SECOLO SUO
    NELLA SCIENZA DEL BENE SAPIENTISSIMA
    IN QUESTO ALBERGO DEI VECCHI POVERI UMILE ANCELLA DI CARITÀ
    MORÌ NELL'ANNO 1799

数学という学問における学識は、イタリアと、その世紀における栄光である。
素晴らしい学問において、この貧民救済の施設には隣人愛(慈愛)の侍女
1799年に亡くなった

「この言葉は、マリア・ガエタナ・アニェージMARIA GAETANA AGNESIについて書かれたもので、ミラノにあるピオ療養院の建物にある石銘だよ。
 彼女は、1718年5月にミラノで生まれ、数学者、哲学者として活躍した。
ちなみに、1799年1月に亡くなったが、生まれた時はミラノ公国であり、ハプスブルグ家の支配下にあった。そして死亡したときにはチザルピーナ共和国だった。
 幼い時から英才教育を施され、9歳の時にはラテン語で演説し、13歳までにはフランス語、ドイツ語、スペイン語、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語を習得し、『7つの舌をもつ神童』とい異名を付けられた。さらに数学も研究し、20歳になった1738年には、それまでに書いた191の論考を集めた「哲学の命題」(PropositionesPhilosophicae)を出版したという。」
「1700年代と言えば、イタリアでも女性の権利なんて認められていなかった時代でしょう?どうしてそんな教育を受けることができたのだろう。」
「彼女の父親は、ボローニャ大学の数学の教授で、かつ絹商人で裕福だったことから、地元の有名な知識人を自宅に呼んでサロンを開いていたらしい。そこで、彼女ら子ども達にいろいろな発表をさせていたっていうよ。父親は、子どもが女性であっても、その才能を伸ばすことの意味を理解していたんだ。」
「彼女の父親は女性の能力を男性を差別しないで評価することができたんだね。日本なら、女には学問は要らない、という意見が多いから、本当に素晴らしいことだ。」
「1748年には『解析教程』(Instituzioni analitiche ad uso della Gioventu Italiana)という若者向け数学の概説書2冊を出版し、当時の女帝マリア・テレジアに献呈した。この本は高く評価され、フランス語や英語などに教科書として翻訳されたという。女帝マリア・テレジアは彼女の功績を称えてダイヤモンドの指輪を贈呈したし、1750年にはボローニア大学のアカデミー科学会員に選出され、教皇ベネデイクト14世は、彼女を数学及び自然哲学の名誉教授に任命したという。」
「彼女は本当に一流で天才だったんだね!学問的にはどんな功績があったのかな。」
「私は数学のことはまったく分からないが、有限量の解析、円錐曲線、曲線の最大値と最小値、三角関係、無限小解析、微分法、積分法、関数のベキ級数展開などが論じされたという。特に、アニェージの曲線(Versiera di Agnesi)は有名で、直交座標における方程式によって表される曲線で、円を展開してできる三次曲線のことだそうだ。もちろん、今話した専門用語については、私はまったく理解しないままで発音しているだけだから、意味を聞かないでね。」
「その後は、どうしたの?」
「父親が亡くなって、彼女も病気して、学問に対する情熱を失い、その代わりに貧困の人、浮浪者、病気の人などのために自らの財産を寄付した。1773年頃には、ミラノ市内にピオ療養施設(PioAlbergoTrivulzio)に入所し、そこで亡くなる1799年まで、救貧活動に献身的な活動を続けたそうだ。」

  1. La sull'altar lei sta piangendo. Tutti diranno che di gioia,
    mentre il suo cuore sta gridando: Ave Maria!

彼女は、教会の祭壇の前で泣いている。みんなは、うれし涙だと言っている。
でも彼女の心は「マリア様」と叫んでいるんだ。

「これは、『La novia』という題の歌で、1958年にチリの男性が作曲し、1961年に兄弟のアントニオ・プリエートAntonio Prietoが歌ってヒットしたという。同年、イタリアのトニー・ダララがイタリア語でカバーしたことで世界中にヒットしたそうだ。標題のことばは、まさに偽りの愛を誓うという場面を表したものだね。
実際、日本でも1962年にはペギー葉山が歌って以来、多くの歌手が歌っているよ。
だから、題名のNoviaというのは、スペイン語で、彼女、ガールフレンド、花嫁、新婦などの意味があるんだって。ちなみに、男性の場合には、Novioというんだって。」
「そうだったんだ。チリの公用語はスペイン語なんだね。だからNoviaをイタリア語の辞書で調べても分からなかったんだ。」
「イタリア語の歌詞を紹介するね。」
 Bianca e splendente va la Novia. mentre, nascosto tra la folla,
 dietro una lacrima indecisa, vedo morir le mie illusioni.
 (白く輝いて花嫁は行く、僕は参列者の間に隠れている)
 (迷うような涙の奥で、僕は幻想が消えていくのと見た)
 La sull'altar lei sta piangendo. Tutti diranno che di gioia,
 mentre il suo cuore sta gridando:Ave Maria!
 (祭壇の前で彼女は泣いている、みんなは、うれし涙だというだろう)
(彼女の心は、マリア様、と叫んでいる)
 Mentirai  perché  tu dirai di si.  Pregherai per me, ma dirai di si.
 Io so, tu non puoi dimenticare. Non soffrir per me, anima mia.
 (君は嘘をつくだろう、そして誓いのことばで『はい』というだろう
 君は僕のために祈るだろう。だけど君は『はい』と答えるだろう)
 (僕は知っている、君は僕を忘れることはできない、僕のために苦しまないでくれ、僕の魂の人よ) 」
「ついでに、原歌詞のスペイン語も紹介すると、なるほど、イタリア語とスペイン語がとても似ているということが良く分かるね。所々歌詞が違うけど。
 Blanca y radiante va la novia,  Le sigue atrás un novio amante
 Y que al unir sus corazones,  Harán morir mis ilusiones
 Ante el altar está llorando,   Todos dirán que es de alegría
 Dentro su alma está gritando: Ave María!
 Mentirá también al decir que sí,  Y al besar la cruz pedirá perdón
 Y yo sé que olvidar nunca podría,  Que era yo, aquel, a quién quería
 花嫁は白く輝きながら進む。その後ろに続くのは、彼女を愛する新郎
 彼ら二人のハートが結ばれる時、僕の夢は消えうせてしまうだろう
 祭壇の前で彼女は泣いている。皆は彼女が嬉し涙に泣いている言うだろう。
 心の奥深くで叫んでいる。マリア様!と
 誓いの「はい」と答える彼女は、嘘をついている
 十字架に口づけをする時には許しを求める
 彼女が愛したのは彼ではなくてこの僕。
 それを彼女が決して忘れる事ができないのを僕は良く分かっている 」
「日本語の歌詞はどうなのかな?」
「とても上手く表現しているよ。だから、わかりやすいね。日本ではそれまで神式の結婚式が大多数だったけど、ちょうど1960年頃から有名人が教会で結婚式を挙げるようになって、女性はウェディングドレスを着るようになったので、この歌のイメージができていたんだね。」
「ところで、花嫁は『夫を永遠に愛します』という嘘の誓いをするんだよね。十字架のある祭壇だよね。だから誓う相手は、キリストつまり神様でしょう?なのになぜ、マリア様と叫ぶのかな?マリア様はキリストのお母さんだから、嘘を許してくれるのかしらね?」
「えー、そんなの知らないよ、誰かクリスチャンの人に聞いてよ。でも、元カノが別の男性と結婚式を挙げる段になっても、振られた男はまだ彼女の愛を確信しているって、凄いね。もしそれが本当なら、『卒業』を実行したらいいのにね。」
「『卒業』ってなに?」
「1967年のアメリカ映画、『卒業』(the Graduate)」だよ。元カノのエレンが教会で結婚式を挙げているときに、ベンジャミンが教会に入って、彼女の名前を呼び、彼女の手をとって、二人で教会を飛び出すというシーンだ。バックミュージックのサウンド・オブ・サイレンスも良かったけど、この映画は衝撃的だったね。」
「結婚式なんて要らないという意見もあるけど、結婚式の時に初めて、自分が本当は誰を愛しているのかと気がつく、ということもあるんだね。なるほどね。」

  1. Gli anni e il bicchieri di vino non si contano.

年齢とワインのグラスは数えられることはない

「直訳すると、どれだけワインを飲んでもそのグラスを数えないし、それと同じようにどれだけ年を取っても年令を数えない、ということだけど、年を取ることやワインをどれだけ飲んだかってことは気にしないで、好きなだけ飲んだらいいよ、ということだね。」
「そうか、数えないということは数えてはいけないということだね」
「まあ、人間は年を取ると分かるが、回りの人から年のことを良く言われるよね、でも一々言われると、そんなに言わなくても・・と思うことがあって、年令など気にしないで、若いときと同じように振る舞いたいと思うことがあるんだよ」
「なるほど、自分の年令やワインを飲む量など気にせず、好きなだけ飲みなさいと言うことだとは分かったけど、60歳や70歳にもなってワインを大量の飲むと健康に悪いんじゃないの?肝硬変とか心配だね。」
「そうなんだけど、実は、日本政府は。高齢者の定義を70歳以上にしようとしているんだよ。世界保健機関(WHO)では65歳以上にしているのにね。」
「どうして日本政府はそんなことをいうのかなあ」
「日本の平均寿命はとても伸びているから、人間は70歳になっても働くことができるっていう訳だよ。でも定義を70歳以上に引き上げると、年金の開始年令や健康保険の負担割合などにも大きく影響してくるから、高齢者にとっては、負担が増えてくる。だから、反対論もあるよ。」
「それに、今の日本では60歳の定年を過ぎて働き続けると賃金が大きく減らされる会社が多いよね。なのに年金の支給も遅くなれば、どうやって生活していけば良いのだろうね。」
「じゃ、70歳になっても働けと言うんなら、やっぱりワインも好きなだけ飲んだら良いよね、ワインを飲みながら、高齢者問題を一緒に考えようか?」
「いや、止めとくよ。」