憲法24条の内容については先回書いたとおりですが、第1項に「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により維持されなければならない。」と敢えて規定された理由はなんだったのでしょうか?
 今のように、それなりに結婚相手を選ぶことができるようになると、24条ができた理由が分からなくなっていますが、その理由を実はベアテが憲法草案にそのまま書いていました(1945年のクリスマス:p156)。
 「家庭は、人類社会の基礎であり、その伝統は、良きにつけ悪しきにつけ国全体に浸透する。それ故、婚姻と家庭とは、法の保護を受ける。婚姻と家庭とは両性が法律的にも社会的にも平等であることは当然であるとの考えに基礎をおき、親の強制ではなく、相互の合意に基づき、かつ男性の支配ではなく両性の協力に基づくべきことをここに定める」
 すなわち、ベアテが言いたかったことは、婚姻や家庭は「両性の相互の合意と協力」に基づいてなされるものであって、決して「親の強制や男性の支配」の下にあってはならないということなのです。24条にはそのようなことは書いてありませんが、戦前、日本の女性は親の強制と男性の支配の下にあったので、そのような状態から女性を解放する必要があったということなのです。
 それでは現在、婚姻や家庭において、女性は親の強制や男性の支配から自由になっているのでしょうか、今の私たちはこの点を検証する必要がありそうです。。
 また、ベアテは「両性が法律的にも社会的にも平等であることは当然である」との表現をしたのに対して、現行憲法では「夫婦が同等の権利を有することを基本として」という表現に変えています。草案では「両性」という言葉にされていたものを、現行憲法では「夫婦」という言葉に変えていますが、その理由は何だったのでしょうか?ちなみに英語には「夫婦」ということを意味する単語はないようで「the equal rights of husband and wife」と少し不自然な表現になっています。
 しかもベアテの書いた草案と比較すると、現行憲法では「婚姻と家庭とは法の保護を受ける」という文章が削除されています。おそらく日本側がこの条項の削除を決定したのだと思いますが、その理由はいったい何だったのでしょうか。
 ところで、ベアテはこの草案を書くに際し、ワイマール憲法119条を参考にしたと書いています(同書p159)。なお、ワイマール憲法は正確にはドイツ・ライヒ憲法(Die Verfassung des Deutschen Reiches)と言い、1919年8月に制定されましたが、1933年3月にヒトラーが全権委任法を強行的に採決させたことにより、この憲法は事実上死文化しました。但し、1945年当時、法的にこの憲法が廃止されたり改正されたりしたことはなかったようです。
 ワイマール憲法はこのようなものでした(世界憲法集:三省堂p207)。

第119条
 第1項 婚姻は、家庭生活及び民族の維持・増殖の基礎として、憲法の特別の保護を受ける。婚姻は両性の同権を基礎とする。
 第2項 家族の清潔を保持し、これを健全にし、これを社会的に助成することは国家及び市町村の任務である。子供の多い家庭は、それにふさわしい扶助を請求する権利を有する。
 第3項 母性は、国家の保護と配慮を求める権利を有する。

 さらにベアテは女性の権利については、ソビエト社会主義共和国連邦憲法をも参考にしたと書いています(1945年のクリスマス:p151)。ベアテが参考にしたソビエト憲法は、1933年12月に制定され、スターリン憲法とも呼ばれていますが、1977年憲法に置き換えられるまで最高規範として存続しました。なお、当時このようなものでした(同書p151)。

第122条
 第1項 ソ連邦における婦人は経済的・国家的・文化的及び社会的・政治的生活のあらゆる分野において男子と平等の権利を与えられる。
 第2項 婦人のこれらの権利を実現する可能性は、婦人に対して男子と平等の労働・賃金・休息・社会保険及び教育を受ける権利が与えられること、母と子の利益が国家によって保護されること、子供の多い母が国家によって扶助されること、妊娠時に婦人に有給休暇が与えられること、広く行きわたって産院・託児所及び幼稚園が設けられること、によって保護される。

 以上みたように、1945年当時、ドイツやソ連の憲法ではすでに女性の権利を男性と同等なものとして認め、家庭や子供及び母性の保護の必要性まで憲法で定めていました。当時の日本政府は当然のことながら、このような世界の憲法状況をよく知っていた筈ですが、GHQの提案に対し「日本には女性が男性と同じ権利をもつ土壌はない」と言い放ち、さらには、提案された婚姻や家庭などに対する保護規定を憲法から外してしまったのです。このような姿勢は本当に残念です。