レンツィ首相が提案した憲法改正案はネットで公表されており、プリントアウトしたところなんとA4版で22ページになった。私の経験では、日本語をイタリア語に翻訳するとページ数が約1,5倍になるから日本語でも15ページ位にはなる長文である。
 この憲法改正法律は2016年4月18日に公布されて、12月4日に国民投票というのであるから、国民が熟知する期間としては短いのではないかとの疑問があるところではある。
 イタリアの憲法の条文は全部で139条あるが、今回の改正案では、国会の章の55条から始まって、57条、59条、60条、63条、64条、66条、67条、69条、70条、71条、72条、73条、74条、75条、77条、78条、79条、80条、82条、大統領の章83条、85条、86条、88条、内閣の章94条、96条、97条、99条、州・県・コムーネの章114条、116条、117条、118条、119条、120条、122条、126条、憲法保障の章135条が改正の対象になっており、統治機構全般に及んでいた。
 改正の一番大きなポイントは、立法機関の「両院制」「二院制」の変更である。
 二院制は世界の多数の国で採用されており、日本でも衆議院と参議院として「二院制」が採用されているのは周知のとおりである。ただ、世界の制度を比較する上で、国民の選挙によって組織される議院は通常「下院」と呼ばれ、そうでない方を「上院」と呼ぶのが普通である。そのため、ここではイタリアについても「代議院(カメラ)」を「下院」、「元老院(セナト)」を「上院」と呼称することにする。
 ところで、2院の関係については、日本では両院は対等ではなく、衆議院の優越性が認められている。例えば、憲法69条では「内閣は衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」として内閣に対する信任・不信任の決議権が衆議院のみに認められているし、憲法60条では「予算はさきに衆議院に提出しなければならない」と規定されている。また法律案については憲法59条で「衆議院で可決し、参議院でこれと異なった議決をした法律案については、衆議院で出席議員の3分の2以上の多数で再び可決したときは、法律となる」とされており、同様の規定は予算の議決(60条)や条約の国会承認(61条)などについても衆議院の優越的地位が認められている。
 ところがイタリアの憲法には、そのような条文が存在しない。
 例えば、70条では「立法権能は両議院が共同して行使する」と規定し、また72条では「1議院で提出された法律案は、その議院規則の定めに従い、委員会で、次いで本会議で審議される。本会議は法律案を逐条採決し、最後に法律案全体の表決を行う。」というような規定がある程度である。つまり下院と上院の間で、議決結果が異なった場合の調整規定が存在しない。
 レンツィ首相は、このことを「法律案がピンポンのようにいつまでも両院の間を行ったり来たりする。このようなシステムは世界中でイタリアにしかない。」として、まさにこのシステムが政治の決定を遅らせているとし、さらに戦後70年間に政府が63回も交代するというような不安定な政治状況を作ってきたのだと主張した。そのためレンツィ首相の提案の中心は、「完全に対等な二院制」を廃止することであった。
具体的にどのような改正案を提案したのか、一部についてではあるが、見てみたい。

 イタリア憲法55条
 この条文は「第2部 共和国の組織 第1章 国会 第1節 両議院」という節の最初の条文で、現行憲法では「国会は下院と上院で構成される。国会は憲法で定める場合にのみ、両議院の議員の合同会議を開く」と規定されている。
 この条文についての改正案は次のとおりだった。
 「・国会は下院と上院で構成される。
 ・下院での選挙手続を定めた法律は、代表者における女性と男性の間にはバランスを促進する。
 ・下院の各議員はイタリアの国を代表する。
 ・下院は、政府との信頼関係において正当な資格者であり、政治を方針付ける権限、立法権限、政府の執行を監視する権限を行使する。
 ・上院は地域団体を代表し、上院と共和国の憲法上の他の団体との関係において権能を果たす。憲法により定められた手続によりそれらの事柄において立法権限に参加する。さらに国家や憲法上の他の団体とヨーロッパ連合との間における連絡をとりもつ権限を行使する。形成や規則の実行、ヨーロッパ連合の政治的な実行に対する直接的な決定に参加する。公共の政治や行政の政治的な活動を評価する。その領域におけるヨーロッパ連合の政治的な影響を確認する。法律により予測された場合について政府の権限を任命することについての意見を表明することや、国の法律の実行の確認することに対して協力する。
 ・国会は憲法で定める場合にのみ両議院の議員の合同会議を開く。 」

 誤訳もあると思うが、それを前提にしても、上院の権限であるところの立法権が大きく制約された存在になることは明らかである。私としては、レンツィ首相は実質的な一院制を目指していたのではないかと思う。

 イタリア憲法57条
 現行憲法では、上院の選挙方法などに関する規定であり、「州を基礎として選出される。定数は315、但し、そのうち6は海外選挙区」、などと規定されている。
 ところが、改正案は「上院は、地域の代表者からなる95議席と、大統領の任命による5議席によって構成される。」などというものだった。
つまり上院の議席数315を100に減らすが、上院議員は国民による選挙を経ないということであり、まして5議席は大統領が任命することができるというのである。
 このような選出方法は国会議員の通常の選出ではないと思われる。

イタリア憲法60条
 この条文は議員の任期に関する規定で「下院上院の任期は5年とする」とされているが、改正案では、下院のみに適用されることになり上院の議員は、除外された。
 イタリア憲法70条
 この条文は、「第2節 法律の制定」の節の最初の条文で「立法権能は両議院が共同して行使する」と規定している。
この条文の改正案は次のとおりである。
「・以下の法律については、立法権限は下院と上院によって共同して行使される。
  憲法改正法律、憲法に関連する他の法律
   言語上の少数者を保護するもの、国民投票、71条の国民審査の別の方法に関する憲法の要求する法律の策定、
   大都市とコムーネにおける組織・選挙法・地方機関及び基礎的な権限について決定する法律とコムーネの合併を形作る基礎的な支持
   ヨーロッパ連合の政治と法律を定め及び実行することについてイタリアの参加についての一般的な規則及び方法と限界を定める法律
   憲法65条第1項によって上院の被選挙権の欠格及び兼職禁止についての決定。
   そして次の法律:57条第2項、80条第2文、114条第3項、116条第3項、117条第5項及び第9項、119条第6項、120条第2項、122条第1項、132条第2項。
   それぞれの内容により、これらの法律は廃止、当該項の規範に適応された法律によって改正もしくは委任されることができる。それは新しい法律によってのみできる。
 ・以上の以外の法律は下院によって制定される。
 ・下院によって制定された各法案は直ちに上院に回付される。
  上院は10日以内に、その議員の3分の1の要求があれば、検討するかどうか決定することができる。
 ・次の30日のうちにおいて上院は法案の修正の提案を決定することができる。
  その訂正の提案について下院が確定的に決定する。もし上院は検討を始めることを決定しない場合には、もしくは決定するための期間を徒過した場合には、または下院が最終的に確定的に決定した場合には、法律は発効する。
 ・117条第4項によって策定された法律を上院が検討することは、それを受け取ってから10日以内に決定されねばならない。その法案に関しては上院の全議席の過半数によって提案された修正案に対して、下院は全議席の過半数によって最終決定により同意しないことができる。
 ・下院によって適用されたところの81条第4項の法案は上院によって検討され、下院から与えられた日から15日以内に修正案を決定することができる。
 ・上院及び下院の議長は協議の上、それぞれの議員規則に従って、権限の問題を提起することを決定する。
 ・上院は、その規則によって予想されるところに従って、下院の活動及び資料について論評することができる。 」
誤訳は間違いなくあると思うが、この70条は、現行ではたった1行であるにもかかわらず、改正案は非常に長く、意味不明な箇所も多い。私としては、どうしてこんな冗長憲法案にしたのかと疑問に思う。
以上あげた条文の他に、多くの重要な条文が改正対象とされているが、上院から立法権限を奪ったことにより、「国権の最高機関」とも言うべき立法府の権限を半減させたことは明白であろう。
 すでに述べたようにイタリアでは大統領も内閣総理大臣も選挙による民主主義的な手続を経ないのであるから、このように実質的に一院制にすることはイタリアの民主主義にとって良いことなのか、という大きな問題をもたらすのである。
実際2016年6月頃から憲法改正案については反対意見が強くなり、否決される観測がすでに出ていた。このためもあり、中道左派の民主党の一部、中道右派のベルルスコーニなど、極左、極右、5つ星運動など幅広い層から「NO」を突きつけたのであった。
 ところで、このように二院制を廃止して、実質的に一院制を採用するという憲法改正案は、実は、レンツィ首相が初めて提案したわけではない。
2006年6月には憲法改正のための国民投票が行われたが、このときの憲法改正案は、ベルルスコーニ内閣が2003年に上院に提案し、2005年に下院で可決されたときの国民投票である。ところが2006年の総選挙で中道左派のブローディが勝利して政権交代があっため、結局、国民投票では反対が61.3%を占め、否決された。
このときベルルスコーニが提案した憲法改正案は、首長公選制などの提案もあったが、その一つが完全に対等な二院制の廃止であり、立法権限や首相との信任関係は下院のみにし、上院は州などの代表者にして国と州の関連事項の審議のみにするという案だった。これによりベルルスコーニは強い政府を作ることを目的としていたのである。
10年前に中道右派のベルルスコーニ首相が提案した「完全に対等な二院制を廃止する」という憲法改正案が、その10年後に中道左派とされるレンツィ首相によって再び提案されるという政治的状況を、どのように考えるのか、悩ましい問題である。しかし反対60%という結果を見る限りイタリア国民の民主主義についての意識にはブレがなかったと言えよう。
弁護士 渥 美 玲 子